カテゴリ:タイ諸々( 26 )

刺青と僧侶

近所の銭湯で、久しぶりに「もんもんからくり」の人を見た。女湯で見かけることは今までなかったし、プールや銭湯も「刺青お断り!」の看板が多い中、その銭湯にはそんな看板がないことに気づいた。

「もんから」と言っても、足の太ももだけに見事な模様が描かれていた。タトゥーではなく、ちゃんとした刺青。目が悪いので、細かい模様までよくわからなかったが、孫を連れた若いおばさんだった。

タイにも伝統的に刺青がある。タイの場合、宗教的意味が大きく、今も僧侶や還俗者が霊験あらたかな刺青を施してくれる。一色のみのシンプルなもので、とても美しいものとはいえない。

でもそれぞれの刺青には、「銃で撃たれても弾が皮膚を通らない」「犬に噛まれても歯がたたない」「あらゆる悪霊を追い払う」「運勢をよくして金持ちになる」と言った力を持つ呪文が刻み込まれる。変わったところでは、声を使う職業の人のために、舌に色をつけない呪文を刻むと、美声になり魅力的な話ができるようになるというものもある。

タイでは僧侶がいろんなことをする。刺青だけでなく、呪文を書いた護符も作って配るし、聖水を作って悪霊も祓う。また僧侶として瞑想修行を続けると、空を飛び、未来を予測でき、あらゆるものをトランスポートさせることもできる。

また彼らも真剣に「できる」ということを強調するし、「あの坊さんの占いはよく当たる」と評判になれば、人々が行列を作る。

東北タイのコラートにもクン和尚という有名な僧侶がいる。彼に土地権利書を踏んでもらうと、その土地の値段が上がるということで、バブル経済のときは多くの人が土地権利書を持って並んだものだ。現在のタイの皇太子が、クン和尚に面会したとき、和尚に敬意を払わない態度をとったため、皇太子が帰ろうとすると飛行機が壊れただの、車が事故を起こして骨折しただのと噂された。

そんな話になると、タイ人は「そんなの信じない」を言う人を含めて、みな身を乗り出してくる。「これは、どこそこの有名な僧侶がくれた数珠」「これは、護符」「これは仏像」、、、、、またそんなものを私にも「持っていたら、危険から回避できるから」と言って、多くの人がくれるため、うちにはわけのわからないペンダントや僧侶の顔が彫られたコインなどが、山ほどある。刺青は持ち運びに便利だけど、他のものは捨てるのも悪いような気がして、数は増えるばかり。

やっぱり、刺青は体にくっついている分、捨てることを考えなくていいから楽そうだなと、思う今日この頃。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-04-06 17:45 | タイ諸々

美容院と第三の目

異邦人として過ごすとき、誰か地元に詳しい人を探して、いろんな情報を仕込んでおくのがいい。そんな時、いい情報源となるのが、男性ならばタクシーの運転手、女性ならば美容院のヘアドレッサー。

今では大都市と言えるほど発展したが、10年ほど前まではタイのコンケンもたいした町ではなかった。生活していれば当然髪の毛を切りに行くこともある。ある日、小さな美容院を訪れた。

小さな店の中で、中年女性が一人ソムタムを食べていた。私が入っていくと、あわてて食べかけの皿を奥に持って行き、私の髪を切ってくれた。切ってもらいながら、いろいろ世間話をするのが、楽しみといえば楽しみ。当然ながら、「どこから来たの」から始まり、日本人だとわかると「日本はどんなところ?」という質問が続く。タイのどこに行っても、お決まりの質問パターン。しばらくすると、質問が続かなくなってくる。そのときが、私のチャンス。こちらから質問するときが来たのだ。

「どこで生まれたの?」「家族構成は?」と非公式インタビューが始まる。どこに行っても、知らない人の話を聞くのは好きだ。夫とは離婚し、子供は一人。元夫は今はオーストラリアに行って事業を成功させているらしい。でも養育費はもらっていないとのこと。たまに子供に会いに来るし、子供を向こうの学校に入れさせたいと言っている。でも自分は、行きたくなく、ここで自分で働いて生活しているほうが気楽でいい。それに向こうに女がいるみたいだというところまで聞いたあたりで、何か事情がありそうだなあ、あまり深く聞くのはよくないのかなと思っていたところ、目の前の戸棚の上に地母神mae thraniの像が置かれていたので、そちらに話を移動した。

地母神、観音、精霊の話に移ったところ、彼女は身を乗り出してきた。
「観音には、シンガポールで会ったことがあるのよ。とてもやさしそうで、ひと目で好きになったわ」
<あれ?観音が憑依する霊媒の話をしているのかな?>
「シンガポールに行ったことあるの?」
「ええ、よく行くわよ。昨日も行ってきたわよ」
<?????>

彼女は鏡の中の私の目を見つめて言った。
「夢の中でね」
「・・・・・・」
「夢の中で、どこにでも行けるのよ。シンガポール、オーストラリア。夫ともよく夢の中で会うわ。楽でいいわね。お金を出して飛行機に乗る必要がないし、夢の中なら世界中どこにでも行けるから」

私は彼女が、外国人である私をからかっているのだと思った。鋏を持ったまま、彼女は髪の毛を切るのも忘れて、夢で行った先のことをいろいろ話してくれる。でも、私は今までの話がすべて信じられなくなった。夫は本当にオーストラリアにいるのか?本当に金持ちなのか?どこからどこまでが本当なんだろうか。

どのようにして夢の中で遠くにまで旅行できるようになったかという経過を聞くうちに、彼女自身に守護霊が宿り、その憑依の手助けをしてくれた霊媒が、コンケンにいるらしいというところまで、話は進んだ。その霊媒には、ラーマ5世も憑依するらしい。そして彼女は非常にその人物を尊敬していた。

鋏を持った手を休め、鏡ではなく、私の顔を覗き込むように近づいた彼女は
「私の、この、第三の目が見える?」と言って、自分自身の額を指差した。
怖くなった私は、
「うん、見える」と答えてしまった。
クーラーもない暑い室内で私は寒気を感じ、そうそうに退散した。

それ以来、何度か彼女と道で話すことはあったが、髪の毛を切りに行くことはなかった。そうこうするうちに、彼女の店は閉められ、他の人の手に渡った。どうなったのかなと今も気になる。もっと話を聞いてあげることができなくてごめんね。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-04-03 01:38 | タイ諸々

功徳と寄付

2004年年末に起きた大津波の被害者のための寄付が世界規模で行われた。日本でもプロ野球選手を始め多くの人たちが「善意」を見せた。タイでも同じように、有名な俳優やスポーツ選手が寄付を表明した。その中で世界で活躍するタイ人・プロテニスプレーヤーが寄付を表明したとき、記事を読んだ読者たちが怒り心頭した事件が記憶に新しい。

何に怒ったのかというと、その額が少なすぎるから。確か日本円で10万円に満たないぐらいの額。世界のプロなんだから、もっと金を持っているくせに、ケチな奴というブーイング。それであわてて彼は寄付の額を上げたのだが、読者の視線は冷たかった。

日常生活におけるタイの仏教の一番の柱となる論理は、功徳bunと悪行bapのバランスだといわれる。善行によって功徳を貯蓄し、殺生や盗みなどの悪行によって貯めた功徳を消費する。人はみな功徳の預金通帳を持っていて、死んで閻魔の前に出れば、閻魔がその通帳を見て、功徳が少なければ地獄、その残高が多ければ天国へと、人を振り分ける。また天国に行ったら行ったで、その残高の多い人から、来世へ早く生まれ変わることができるし、金持ちや地位の高い幸せな人として再生できる。

このようなタイ仏教の論理を、マルクス主義者たちは、抑圧された社会的弱者(たとえば貧しい人や障害者)が現状に満足し、社会的反乱を起こさないためのブルジョアが作った論理だという。今、社会的状況がよくないのは、前世において悪行を重ねてきたからだという説明が、よく僧侶の説教でなされているからだ。

確かにそういう一面もあろうが、現実に老若男女、貧富の差に関係なく、功徳を積むために走り回るタイ人(文字通り、走り回っているのだ)を見ていると、誰にとっても功徳を積むことはたいへんであるようだ。

寄付することは、功徳を積むことに直結する。もてる者は出せ!という論理を、マルクス主義者はどのように説明するのだろうか。

かくいう私も「もてる」日本人。タイの村ではよくお布施をさせてもらいました。お寺の本堂建設資金、冠婚葬祭、治療費、車代などなど。一方、数年にわたる調査期間中の滞在では、一銭(一バーツ)も住居費や滞在費、食費などをホームステイ先家族は受け取らなかった。

金は、適切なときに、適切な額を出すこと。難しいけど、このことはよく勉強させてもらいました。
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by chachamylove2003 | 2005-03-31 00:25 | タイ諸々

タイの花粉症

毎年春は花粉症。花見なんて苦痛以外にない。だから毎年この時期は、海外に逃げていたのに、今年はとっぷり日本にいるため、花粉症も真っ盛り。

タイに3月から4月居ても、花粉症にならなかったので快適だった。でも、一年の内、一時期1月だったか2月だったか、鼻がおかしくなることがあった。その原因は、マンゴの花。マンゴはウルシ科の植物だから、アレルギー体質の私には辛い。でも大好きだから、いつも沢山食べて、口の周りを真っ赤にさせていた。

マンゴの花は、花とは見えないぐらい小さく白い。乾季の最中、マンゴの花が咲く頃、雨が少し降る。それをマンゴの雨と呼ぶ。雨によって花粉が落ち、1週間もすれば実をふくらませ始める。この1週間、私はマンゴの実が成ることを楽しみにして、花粉症を耐えるのだ。

でも結局、パパイヤと同じで、私が取る前に、誰かに収穫されてしまうのだが。村では、誰がマンゴの木をたくさん持っているのか、わかっていたので、そこに行っていつももらってきていた。農村調査の利点は、新鮮なおいしいものを食べることができること。これに限ります。

それにしても日本の花粉症は辛い。杉には何も成らないんだから。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-03-26 16:37 | タイ諸々

ラオ語とタイ語・サッカー

今日、ワールドカップ最終予選で日本がイランに負けた。それで思い出した。

1994年だったか、1990年だったか、ワールドカップの時、ラオスのヴィエンチャンにいた。ゲストハウスで朝従業員の男の子に、前日のワールドカップの結果を聞いた。すると「angkrit (イギリス)phae」という。<え?!イギリスが負けた?>まだ一回戦の段階で、イギリスが負けるわけがない。優勝候補のイギリスが、そんな!?びっくりした私は、「angkrit phae???」と何度も聞いたが、やはり「phae」という。

私はタイ国のコンケン大学にいた。コンケンはラオ語を喋るラオ人たちがいる地方だ。だから私のタイ語は、バンコク・タイ語とは異なり、ラオ語との混在、またはラオなまりのタイ語だ。タイ語で、「phae」は「負ける」こと。

何度も何度もゲストハウスの男の子に聞きなおすので、彼も怪訝な顔をし始めた。それでふと考えた私は、英語で「victory?」というと、これまた、そうだと答える?あれれ?イギリスは勝った?のか。どっちだ?英語で確かめると、イギリスは勝ったのだ。じゃあ「phae」の意味は?彼に言わせると、「victory」だという。どうして?タイ語と逆の意味なの?

タイ語とラオ語は似ている。似ているからこそ、ややこしい。私はいつまでたっても、タイなまりのラオ語か、ラオなまりのタイ語しか話せない。後日、日本の大学院に留学しているラオ人に「phae」の意味を聞いた。すると、今度は「負ける」ことだという。そして、ヴィエンチャンのゲストハウスでの話をすると、「その人は田舎から出てきたばかりだったんだろう。地方のラオ人でそんな使い方をする人もいるが。学校に行っていないということだよ」と言われた。

なんちゅうこっちゃ。これまた後日、古いタイの文献を見ていると、現在のラオ語にあたる言葉がたくさん出てくる。つまりもともと古いラオ語がこの地域では優勢だったのが、だんだん変化して今のようなタイ語とラオ語に変化してきた。近代教育によってどこかの地方の言葉が、全国的に標準化したということみたいだ。

ああ、外国語ってやっぱり難しい。2004年にまたヴィエンチャンに行った。そのゲストハウスはもうなく、町自体も全体的に建物が増えて人も多くなっていた。時の流れははやいもの。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-03-26 02:37 | タイ諸々

タイの猫ブンミー

5年間ほど、東北タイのコンケン大学の大学院で過ごした。
そのとき出会ったのが、ブンミー。

気づいていた。だいぶ前からうろうろしていると。でも元々アレルギー体質もあるし、今まで猫なんか飼ったことがなかった私は、猫がうちに入ろうとすると、蹴倒して追い出していた。でも、ある日、いつも見かける白黒猫が勝手に私の部屋に入り、布団の上で寝ているのを発見した。もちろん追い出そうとした。

でも、、、、。ぐったりとし、触ると熱もある。首が腫れている。傷からばい菌が入って膿んでいるようだ。<どうしよう>力無い猫を布袋に押し込んで、バイクで獣医学部に走った。大学の中にある獣医学部に行くと、牛などの家畜に混じって(?)獣医がいた。切開してもらい消毒し薬をもらって帰った。病人(猫?)なんだもん、しかたない。毎日、嫌がる猫に薬を飲ませ、体も拭き、私の布団をベットとして提供し、授業もさぼって看病に明け暮れて3日、、、。

回復が早い猫は、元気になった。で?まだ居る。もはや追い出すこともできなくなって、そのまま白黒猫と半同棲生活となった。タイ人の友達からは、「幸せな猫だね。治療費も払ってもらえて」と言われたので、ブンミー(功徳がある)と名付けた。

元気になってからは、私の部屋を我がものと思っていたようだ。勝手に網戸を手(足)で開けて、出入りし、お腹がすいた時と眠い時だけやってきて、「ミャオ」。私の友達(人間)が集まり、部屋で輪になって宴会をしていると、一人ずつの膝の上に乗ってしばらく寝、それから次の人の膝へと移動し、、、そして一周するとベットにあがって寝た。半野生のブンミーは、ネズミを捕って食べては、頭蓋骨だけ固かったのか、食べることができずに私のもとに運んでくれた。またカゲロウが飛んでいると、ジャンプしてパコパコ、食べていた。

そんなブンミーも、私が日本へ帰る準備をしている時、何かを察したのか帰ってこなくなった。あっけない別れだった。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-03-24 18:07 | タイ諸々