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鶏との戦い

東北タイの農村で生きていくのは、たいへんだ。何がたいへんって、まず食べなければいけない。でも私には何ら食べるための手段がないのだ。

小さな村には、乾物やお菓子を売る小さな雑貨屋があるだけ。肉や魚、野菜などは売っていない。村人はみな、自分の畑から野菜を取り、池や川で魚を釣ってくるのだ。たまに結婚式などの行事があるときは、豚肉などの相伴に預かることができる。料理にしても、ガスがなく、火をおこして炭を使う。私はそのどれもができないのだ。小さな子供でさえ、おかずの足しになる鳥やトカゲをパチンコで射落としてくる。つくづく私が役立たずに思えてしまう。

もちろん食用にする家畜も飼っている。自家消費用の身近なタンパク質源としては、屋敷地内で飼う鶏や合鴨がある。何にもおかずがないとき、一羽、そしてまた一羽とつぶすことになる。
私と同居していた家の中学生の息子は、闘鶏が大好き。賭け事が好きなわけではなく、きれいな闘鶏を育てるのが好きなのだそうだ。

遠くの畑に小屋を作って鶏を飼うと、丸一日見張りを置いておかないと、誰かに盗まれてしまう。だから人が住むところに、放し飼いにする方が安心だという。闘鶏の血を引く鶏たちは、気が荒く、食欲も旺盛。人がこぼした残飯を食いあさる。何でも食べてしまうのだ。その中でも雄の鶏は特にどん欲で、気が弱い犬を威嚇して、犬のえさまでとってしまう。

そんな鶏がうろうろする屋外で、普段人間は食事を取る。昼間のメニューは決まっている。主食である餅米と未熟なパパイアサラダであるソムタム。それらを何人かでわいわい言いながらつついて食べる。たまに焼いたりフライにした鶏肉がつくと、豪勢な食事となる。

ある時、いつものように何人かの村人とお昼ご飯を食べていた。片手で、餅米をくるっと丸めてボール状にし、ソムタムの汁につけ、もう一方の手に骨付きフライドチキンを持っていた。風が吹いたような気がした。ふと気づくと、チキンがない。
<えっ?>
骨付きフライドチキンをくわえて走っていく鶏の後ろ姿だけが見えた。
<共食い・・・・>

「マリコ、ぼーっとしてるから、鶏にまで食べ物をとられるのよ。両手に食べ物を持つからいけないのよ」と言われる始末。

<鶏に負けた。悔しい>
人も動物も生きていくのに必死なのだ。マリコ

by chachamylove2003 | 2005-05-28 23:12 | 東北タイ