またまた悲報

人の命なんてはかないもの。
それは知っている、、、、つもり。
10 歳のときから、母の死に目に会い、婚約者の死に顔を眺め、
父の死にゆく心臓の音を聞いていた。

すでに長く生きすぎたのだろうか。
死んだ人をどのように見送ればいいのか、まだわかっていない。
祈る気持ちと祈る姿勢。
常に持ち続けるのは日常生活の中では無理。

だから線香と仏壇もどき(仏像を入れる器)を用意した。
私が責任を持つべき仏壇には、諸事情により近寄ることができず
先祖代々の墓と書かれた墓石に祈るより他ない。
先祖代々の墓には、いつのまにか誰かが野良猫のための家を建て
そこで巣立った猫たちの糞まみれ。
猫が育ったのはよいが、これだけ臭いとご先祖さんもさぞかしご立腹。

祈りたい。
生者にも死者にも。
そういうとき、人はどこに行くのだろう。

タイに墓はない。
近親者のお骨は、寺の壁や仏塔に収めているのでわかるが
例えばお爺さんより昔になると、誰も知らない。
知らない先祖は、タイの場合昇華されて守護霊となる。
親族を守り、田畑を守り、家を守る。
知っている死者だけを弔えばいい。
それがタイ・ウェイ。

日本もそう。
知っている身近な人の霊はどこで弔うのだろうか。
墓は在っても、親族でない限り供養することはない。
まとめて高野山にでも行くか。
それもまたいいアイディア。

墓やら仏壇やらの問題ではなく
この気持ち、身近な人の死を受け入れることができない気持ちを
どこへ向ければいいのか。
弔い、その過程。
親族でない限り許されないものなのか。

だからお寺の前で買った小さな珍念さんに毎日問いかける。
お線香を半分だけ燃やし、少しだけ語りかける。
今日も私を生かしてください。
無念にも先に逝ってしまった多くの人の分も人生を楽しむから。
そして次の日、楽しめなかったことをまた悔やむ。

珍念さん(この字でいいのか?)は、にこやかに微笑む仏像。
「いいよ、それで」
って言ってくれる。

今日もまた悲報を聞いた。
これから先も悲しむ機会は多くなるのだろう。
珍念さんよ、つきあってください。
私が誰かの守護霊となる日まで。
合掌、マリコ。
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by chachamylove2003 | 2007-01-16 01:17 | 仏教