酒飲みの仏教実践

東北タイの村では、仏教行事に僧侶の参加が欠かせない。村をあげて行う共同体的な儀礼は、毎月のようにある。例え儀礼の先導者が俗人の宗教的リーダーであったとしても、最後の締めはやはり僧侶の読経であり授戒である。

人が多く参加するような機会では、僧侶は最後に在家が遵守すべき戒律である5つの戒律を授ける。具体的には、僧侶が一つ一つの戒律を詠みあげ、それを在家が復唱することが受戒するということになる。一端受戒してしまうと、24時間守らなければならない。戒律の遵守は、功徳を積む行為だと解釈されているが、もしその間に破ってしまうようなことがあれば、受戒しなかった時よりも悪い行為だとされる。「悪行(bap)」だと言われ、それまで地道に積んできた功徳を無くすだけでなく、地獄に堕ちるかもしれない。そのため受戒するときは、心して受けなければいけない。

このような仏教行事に受戒するのが好きなのは年配女性である。彼女たちが嬉々として受戒するのに対し、年配男性の反応はどうも鈍い。ごく一部の長老は受戒する以外、男性は受戒したがらない。それは男性だけが出家できる伝統のため、男性なら一生の内一度は出家し、227もの戒律を守って過ごしたことがあるからかもしれない。戒律に縛られる不具合さを自ら経験しているためだろう、不思議な行動をする男性もいる。

例えば、うちの向かいに住む50代のおじさんMは、人が集まる場が大好きである。当然仏教行事にも顔を出す。そして受戒する段になると、1から4までの戒律は復唱する(つまり受戒する)が、5番目の戒律は他の人が復唱するのを聞くだけで、自らの口を閉ざして受戒しない。

5番目の戒律とは、禁酒である。Mさんは酒が大好き。飲んで暴れるわけではないが、楽しく騒がしい酒を飲む人である。たびたび羽目を外して、奥さんに怒られている。酒が原因の夫婦げんかをした度に、奥さんは家出をし、周りの者は心配して仲を取り持つ。

奥さんにいやがられてもMさんは、酒をやめる気配がない。5 番目の戒律を受けないでいることを質問してみた。
「5番目の戒律、受けてないでしょ」
Mさんは、にやっと笑った。
「マリコ、見てたの?受戒して守らないより、受戒しない方がいいでしょ。それに戒律は一つ一つバラバラに受けることができるんだよ」

戒律ってバラバラに受けることができるのか?自分で選べるわけ?
でもMさんのように考える人は少なからずいるようで、ある日町の大きな寺で、住職の説教を聞いたときにも話題に出ていた。

「村人の中には、戒律はバラバラに項目別に受けることができると考えている者もいるようだ。それは授戒のとき、『ウィスーン、ウィスーン』というパーリ語が入っているからである。『ウィスーン』は、分けるという意味だ。でも戒律を分けて受けても効果はない。だからうちの寺では『ウィスーン』を入れずに受戒させている」

Mさんは酒が原因で肝臓が悪くなった。少しは酒を控えるようになったが、それでも5番目の戒律は受けていない。仏教行事の後の祝宴での酒盛りを楽しみにしている。相変わらず、奥さんと喧嘩は絶えない。

大酒飲みの仏教実践。これもまた仏教の民衆的解釈の一つである。マリコ
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by chachamylove2003 | 2006-10-21 16:59 | 東北タイ