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モー婆さんの性格

東北タイの霊媒・モー婆さんの家にずっと世話になっていた。最初、モー婆さんが住む古い木造家屋で寝泊りしていたが、仕切られた部屋が使えないために、がらんとして広間で他の人たちと雑魚寝していた。外から誰でも見ることができるため、未婚女性である私は、隣接しているモー婆さんの孫娘の家で泊まることになった。孫娘の名をヨンと言う。私と同じ世代であるため、今でも仲がよい。

モー婆さんには3人の娘と一人の息子がいる。結婚後妻方居住する傾向が強い東北タイでは、息子は隣村に婿に出て、3人の娘は婿をもらって、モー婆さんの屋敷地内に家を建てて住んでいる。また彼女たちの娘たちも同じ屋敷地に家を建てて住むため、7軒の家屋がモー婆さんの家屋を取り囲む形で建っている。

最初、私が行ったときは、モー婆さんは長女とその婿と同居していた。長女の娘たちのうち、結婚した者はすでに家を建てており、未婚の娘はバンコクに出稼ぎに出ていたため、年寄り3人で住んでいた。そして隣の家に住む孫娘たちと食事をともにしていた。

一般的に東北タイでは、末娘が親の面倒をみるといわれ、そうしている家族は多い。なのに、彼女は長女と一緒に住んでいる。どうしてだか、長女であるトンマーに聞いてみた。

「とにかく母さんは、頑固なのよ。そして人をよく批判する。たとえば、水牛を売ろうと相」談していると、『それは悪行(バープ)だ!地獄に落ちるぞ』って言うもんだから、誰もそばに寄りたがらない。男たちが酒を飲んでいるところを見かけたら、それも『悪行だ!(仏教の)戒律に反している』と言うし。でもうちの亭主は、口数が少ない、感情の起伏が少ない人だから、耐えているけど、他の男なら耐えることができないと思う。それでも、一度は、腹が立って、別居したことがあるけど、年寄りにひとりで生活させるのは可哀想だと思ってまた戻ってきてしまった。」

モー婆さんの末娘はこう言う。
「母さんの口が辛すぎるから、うちの亭主が逃げてしまうのではないかと不安だった。だから一度は別の開拓村に逃げていたのだけど、そこでやっていけなかったので、またこちらに戻ってきた。同居は、よっぽどできた婿でないと無理」

私に対してもモー婆さんは、厳しかった。儀礼ともなれば、私は完全に助手としてこき使われた。でも私はそれほど地元の言葉ができない。だから指示と間違ったものを用意したり、何度も聞きなおしたりする。そうすると、モー婆さんは怒り出してしまうのだ。

「お前は学生(ナク・スクサー)じゃない。ただの議論好き(ナク・ソー)だ!」
こちらは学生。調査できたのだから、わからないことは質問する。それが仕事だ。でも答えるのが邪魔臭いらしい。それは理解できる。ここでは、学ぶこと(スクサー)は、人のやることを見て覚えて、とにかく実践すること。「どうしてか」という理由や理論を聞くことは、議論(ソー)であって、学ぶことではないらしい。

モー婆さんに怒られて、しゅんとしていると、いつもトンマーが私を慰めてくれた。私にとって、よき理解者であり、タイの母である。

そんな頑固なモー婆さんも、最後は痴呆がひどくなり、歌を謡うことも踊ることもできなくなった。儀礼を行うことを認識できなくなった。誰かがお金を取ったと毎晩騒ぐようになり、周りに住む娘や孫娘たちは、その介護に振り回されるようになった。

これまで他の人に怒ってきたモー婆さんが、娘たちに「これはやっちゃいけないって言ったでしょ」と怒られているのを見ると、悲しい思いがした。人は誰も死から逃れることはできない。でも死に方も決めることができないのだろうか。

モー婆さんは多くの人を癒したが、最後に彼女を癒す人は現われなかった。マリコ

by chachamylove2003 | 2005-05-01 16:40 | 東北タイ