母の死

猫も杓子も走る12月に母が亡くなった。
最期は哀れで悲しいものだった。

ヘルパーさんが電話をかけてきた。
「インターホンを鳴らしても出てこられないのですが、、、」
あわてて自転車を走らせて行くと、
配水管の工事をしてくれていた業者の人も家の前で待っていた。
「昨日連絡を取ろうとしてもできなかったので、不安になって、、、」

みんなで家に入ると、母が倒れていた。
ビックリして声をかけると、うなずいてくれた。
意識はあるようだった。
でも汚物にまみれ、手足は凍傷にかかっていた。
エアコンはかかっていたが、倒れて床の上から起きられなくなって
溜まっていた新聞から推測すると、
少なくとも3日間は経っているようだった。

救急車を呼んで、病院に搬送されたが
そのときにはもう意識がなくなっていた。
低体温症。体温が24度しかなかった。
平たく言えば、凍死に近い状態。

病院の救急病棟の前で待っている時間は長く感じた。
最近の病院は、どういうシステムなのかよくわからないが
「居てもしかたないので、一度家に帰ってもらって結構です」と言われた。
一度家に帰って、風呂に入り保険証を探した。
夜中の一時ごろ、病院から電話がかかってきて
「危篤状態です」
そんなことは、最初からわかっているだろうが、、、と思いながら
病院に駆けつけた。
まだ小康状態だった。
おばさんに電話したが、夜遅いので様子見ということになった。

病院の内外をうろうろした。
外は寒かった。
携帯で呼ばれた。
行くと、もう心臓が止まっていた。
死亡確認した。

それから家に帰るまで長かった。
葬儀屋を呼び、遺体の処理が終わるのを待ち
実家に運び、
あわててちらかっている部屋を片付けて
遺体のための布団を敷いた。

朝になっておばさんたちが来るまで、私は一人だった。
遺体になった母と一緒に。
急なことなので、次に何をしたらいいのかわからない。

そんなこんなで、バタバタと仮通夜、通夜、葬儀が終わった。
あまりにあっけない最期だった。
意地っ張りで、外面だけがよくって、家に執着した母らしい最期だった
とも言えるが、もっと平穏な最期を迎えることもできたんじゃないかと
思った。

考えれば考えるほど、後悔の念を押さえることはできないが
何を言っても聞かなかった母だから、しかたないと思うしかない。
最期の3日間は、寒い中、一人で助けを求めて待っていたんだろうと
思うとかわいそうになる。

そういえば、ちょうどその頃、私はなぜか心がザワザワして
死ぬことばかり考えていて
どうしようもなく、真夜中に突然友達に電話したりしていた。
どうして死ばかりを考えるのか、自分自身が理解できなかったが
それを虫の知らせというのだろうか。
もっと自分の心に素直になればよかった。

78年の生涯に合掌。マリコ
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by chachamylove2003 | 2009-12-31 00:50 | 私的なこと