一般社団法人始めました!

今までの人生、何かに導かれてきたような気がする。
一見ばらばらに見える私の人生の軌跡も
私自身にとっては、どこかで有機的につながり
一つの世界を築いている。
生きることと死ぬことは、反対語ではなく
同じ方向に歩くこと。
どのように人生を終えるか、
どのように死ぬかは
どのように生きるかに直接関係する。
そのような年になってということか。

一般社団法人コミュニティ・4・チルドレンの設立準備に
ここしばらく遁走してきました。
めでたく(?)6月6日に設立し
その後もまだまだ走っている状態です。

これが人に何かを残せる最後の仕事と
肝に銘じ、ぼちぼちですが
人とのつながりを大切にしつつ
生きていきたい。

ということで、みなさま、ご支援のほどよろしくお願いします。
このブログに来てくれる、おそらく数人の私に近い友人たち、
みなさま、会員制にするつもりなので
会員になってね!

http://ameblo.jp/community4children/

詳細はまたアップしま~す。
よろしく、マリコ
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# by chachamylove2003 | 2011-06-14 23:52 | C4C

さようなら、お母さん

母が亡くなって一週間。
急な死だったので、まだ実感がもてない。
「体調悪そうなので病院に連れて行きます」と
グループホームの人から電話を受け取ったのは
先週の金曜日の朝。
日本時間9時ぐらいだった。
その時私は久しぶりにタイの母を訪れ、
村の寺の火葬場建設のための布施をしていた。

12時に電話した時は
「救急車で搬送とちゅうです」
1時ぐらいには、医者から電話があって
「今、危篤状態です。1時間ももたないので
来るなら早くしてください」

って、いっても今、タイなんですけど。

3時には「今、お亡くなりになりました」
との電話。
私はまだ町にまででていないかった。

あわててダフ屋(まだタイにはあるんだね)から航空券を買い
深夜便で帰国、通夜、葬式。
あっと言うまに時間が過ぎた。

それから毎日お骨になった母と飲んでます。
生きているときは、あまり一緒に飲めなかったからね。
悲しい、母らしい逝きかた。
寂しい。でも母はもっと寂しかったんだろう。

まだ言葉にできない、言葉にだせない、
私の複雑な気持ち。
大好きよと、母に言い損ねたな。
最後に母に会ったのは、母の日だった。
ちゃんと話せばよかった。

向こうで思う存分飲んで騒いでね。
もう楽になったのだから。

合掌、マリコ
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# by chachamylove2003 | 2011-05-21 23:37 | 私的なこと

シンクレティズム?

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(向かって左)うちの先祖代々の仏壇。真言宗。
       お骨は、市営霊園と高野山に。
(真ん中)かつての飼い猫チャチャの仏壇。上座仏教。
       お骨は東北タイの寺に。
(向かって右)実母の祭壇。浄土真宗。
       お骨は、どこへ?

実母は未婚だったので、おそらく祖父母のお墓に納骨するのだろう。
でも49日まで、私が預かることにした。
先の養母の一周忌が終わったところ。
今年は3回忌をしなければいけない。

こんな仏壇の並べ方では
みんな生きていたら、すごい喧嘩になっただろうなあ。
でも私を中心にしてみれば、みんな大切。

合掌。
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# by chachamylove2003 | 2011-05-17 01:57 | 仏教

母の死(これが最後)

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実母に会えた感謝を込めて、この一年間
ちょこちょこと四国八十八ヶ所を訪れ
4月末に全部廻り終えた。
一周目は母のため、二周目からは自分のため。
そう思って四国の寺を廻った。

母と出会って一年。
2回目の母の日に会ったのが最後だった。
一緒にケーキを食べたが
なんとなく疲れてしんどそうだった。

そして5月13日
突然の死。
結局死に目にあえなかった。

初めて会った母の兄弟や親戚たちが集まり
私が喪主をし、葬式は和やかに終わった。
お棺には、私の四国八十八ヶ所の納経帳を入れた。
タイのお菓子も入れた。
一度食べて気に入ってくれていたから。

母との最後の会話が思い出せない。
死の2日前に電話したけど、
私の体調のことを心配してくれていた。
思えば、母は自分の死期がわかっていたのかもしれない。

あまりに短い付き合いだった。
遺骨を引き取り、今やっと初めて
母と同居することになった。
生きているうちにかなわなかった夢。

私のために逝くのを待ってくれた一年だったのかもしれない。
お母さん、ありがとう。さようなら。
合掌
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# by chachamylove2003 | 2011-05-17 01:48 | 私的なこと

造幣局の桜2011

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昨年、母と一緒に来た時は、雨が降っていた。
寒くてしかたなかったことを覚えている。
今年も雨が少し降っていた。

数週間、母に会いに行かなかった。
日本にいなかったからなんだけど。
グループホームの入居者や職員さんの顔ぶれも
一部変わっていた。
本当に回転が速い。

来年も母と行きたい造幣局の桜の通り抜け。

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# by chachamylove2003 | 2011-04-16 02:16 | 私的なこと

疲れた

疲れた、疲れた、疲れた

母と二度目のお泊り。
高齢者に優しい旅館でヒットしたのに
高齢者にあまり優しくない造りの旅館だった。

グループホームにいる母と一緒に寝泊りすることはない。
初めて会ったのが昨年。
初めて一緒に温泉に一泊旅行したのも昨年。
もう一度行こうと予約していたところ
母が転倒、骨折、入院、認知症の進行。
予約はキャンセルしてしまった。

最近、元気になり
また歩けるようになったので
「あんたと同居したい」コールと
グループホームに対する文句が増えて
聞いている私も辛くなってきた。
温泉にでも連れて行ったら気分が変わるのではないかと
近場の旅館へ連れて行った。

今回24時間母と一緒にいて辛かったし、しんどかった。
認知症は進行が遅くなることはあっても、
元に戻ることはない。
数秒前に言ったことをもう忘れている。
「自分は一人でできる」と強情に一人で歩き回ろうとする。
モノ探しばかりしている。

どうしても私を苛立たせるのは
「前、あんたと一緒にここ来たやろ?」
と繰り返す母の質問。
昨年、生まれて初めて会ったのだし
初めて会ったとき、もうすでに認知症は
進行していた。
どういう経験をして、どういう過去を持っている人なのか
私は知らない。

「来てない」と何度も同じ答えをすると
「そんなはずはない」と、しつこい。
私のイライラは頂点に来る。
「去年生まれて初めてお母さんに会ったのだから
どこで何をしていたのか、何をして働いていたのかも、
私が知るわけないやん」と答えると
「私はず~っと働いてきたで。今でも働いている!」と。
グループホームで働いているつもりらしい・・・。

認知症は、本人が一番辛いとよく言われる。
父のときも、今の母のときも、思ったけど
やっぱり振り回される方も辛い。
これが他人ならば別。
お仕事として割り切ることができる。

「嫌なことは、忘れたらいいねん。
私は忘れるようにしてるねん」と言う母。
私の名前も、時々忘れてる。
私を産んで捨てた想い出は、
母にとってやはり辛いのかもしれない。

それにしても疲れた。
16年前、父の介護をしていたときは、
睡眠不足と動き回りすぎで、ご飯を食べる時間もなかった。
それでもやっていけたのは、ひとえに若さゆえ。
24時間拘束されることに、もう耐えられない。

グループホームで見せる母の表情は
安心に満ちている。
人の悪口を言いながら、喧嘩しながら
人々の間を廻ってお喋りして・・・。
私がいると気を使うようだ。

やはり時折グループホームに顔を見せるぐらいで
ちょうどいい関係なのかもしれない。

まりこ
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# by chachamylove2003 | 2011-03-25 01:28 | 私的なこと

金子みすず展

急にどうしても行きたくなった。

金子みすず詩集は、昨年から私の座右の書。
その小さな文庫本は、母の枕元から持ってきた。
ページの間から、押し花された桜がほろほろ落ちる。

花が好きな母。
草が好きな母。
公園に散歩に行くと
いろんな花びらや草を拾ってくる。

誰も気がつかないような
小さな小さな花をつけた草花。
母だけには見える低いところにある花。

金子みすずの詩を読むと
どうしても母を想ってしまう。
優しく、小さく、子どもみたい。

認知症が進めば進むほど
母は子どもへと帰っていく。
私が苛立てば苛立つほど
母の認知症が進む。

母とともに認知症の世界を漂おうと思う。
小さな花や草の命に気づき
小さきものとともに。
春はそこまで来てるのだから。

合掌、マリコ

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# by chachamylove2003 | 2011-03-19 22:45 | 私的なこと

東北・関東大震災

あまりに酷い津波の映像に
ことばもなく、テレビに釘付けの日々。
流される家の一つ一つに、誰かがいて
何千、何万の人々が流された。

平和ボケした政治家も
頭から氷水をかけられたみたいに
青ざめて真剣な顔になった。

それでも亡くなった人は呼び戻せない。
遠くにいる私に今できることは祈ることのみ。
春が近いことを望むのみ。
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合掌、マリコ
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# by chachamylove2003 | 2011-03-19 21:56 | 大阪

もう一年

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お遍路道中の寺に奉納されたわらじ。

実母と出会ってから一年たった。
その間、母の認知症はますます進行した。
だから未だにどういう人なのか、あまりよくわからない。

生まれてすぐ養子に出された妹に一回、
保証人になっている弟に一回、
昨年死んだ妹の子ども二人に一回。
それがこれまで会った母の親戚。

「ねえちゃん」というのが、「姉」のことを指すのではなく
一般的に年下の女の人のことを言うのだと最近気づいた。
だから弟のことも「にいちゃん」。

こんなだから、母の親族関係を解きほぐすのに時間がかかる。
タイの農村でおばあちゃんたちにインタビューした経験が
今になって役にたつような、たたないような。

大阪の空襲で家が焼けたこと、
四国に疎開したこと、
若いころ市場でコーヒーを売っていたところ、
お湯がかかって足に大きなやけどをしたこと、
整形外科のクリニックで働いていたこと、
職場でいじめられたこと、
お遍路さんに行って迷子になりそうになったこと、

同じ話を何度も聞かされたが
聞きたい話はあまり聞けない。
しかたないと思いながらも、少し寂しい。

すでに母は私を頼りにし、
毎日のように電話をかけて
寂しいと訴える。
一緒に居たいのは私も同じだが
今さら同居できるわけもない。
私は母のことをほとんど知らないのだ。

グループホームで短い間だけ親子を演じ、
できるだけ元気にしてもらう。
そしてたまにお遍路さんに行って、
実母に出会えたことを感謝し、長生きを願う。
そんな一年だった。

これから先、どうなるのだろう。
いくつになっても先が見えない。
それでも前を向いて、わらじがぼろぼろに擦り切れるまで
歩み続けるのが人生。
合掌まりこ
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# by chachamylove2003 | 2011-02-06 06:07 | 私的なこと

誕生日は足摺岬

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足摺岬は寒かった。
寒いときに、寒いところに行って
海水の温泉に入ってあったまってきました。

第二(第三?)の新たな人生、がんばるぞ~。
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# by chachamylove2003 | 2011-01-15 12:39 | 私的なこと