年末ですね・・・

新年になると、携帯電話に一通のメールが入る。
「あけましておめでとうございます」
差出人は、ケーク。日本のどこかにいるタイ人。
90年代初めに来日し、アンダーグラウンドで生き続けている。

彼女はタイの東北地方の農村出身で、いろいろな経緯を経て、
どこかのスナックで働いている・・・らしい。
スナックと言っても、稼ぎの大半はお客との同伴からもらう。
つまり自由恋愛という売春。
彼女が生まれた村に、私は長期間いた。
その関係で、なぜか彼女は私の携帯電話番号を知っている。

「子ども、生まれた。マリコ、引き取ってくれないか」
「お金に困っている。ちょっとでいいから・・・」
いつも本気かどうか、よくわからない。
ただ私のところにまで電話をかけるのは、それだけ状況が逼迫していることを示しているのだろう。
だからと言って、会うこともない、会おうともしない彼女をどうすることもできない。
入院したと聞いたときは、だいたいの地域名から検索して適当な病院に花を送ったら
ちょうど彼女が入院していた病院だった。
「お花、受け取ったよ。ありがとう。私には誰もいないと思っていたけどマリコがいた」
なんて言われると、やっぱりうるっと来る。

しかしその後も彼女の生活は変わらない。
産んだ子供も無国籍、学校に行けないまま大きくなってしまった。
タイに帰れば、二度と日本に戻ってこられないと思っているので
20年以上、実家に帰らないまま。
両親も亡くなり、実家も兄弟が継いでしまい、
タイに帰っても、彼女の居場所はなくなった。

彼女ももう40代。
体もガタガタ。
貯金どころかトランプ賭博で借金もある。
一度タイに帰って、生活を立て直すことを何度も勧めたが、もう帰る気はないようだ。
生活も無茶苦茶。
タイ人コミュニティのなかでも評判はよくない。
これから彼女はどこへ向かうのだろうか。
今のタイのバンコクや地方都市の発展を見たら、彼女はどう感じるのだろうか。

今度の元日に、彼女からのメールは来るのだろうか。
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# by chachamylove2003 | 2013-12-30 19:47 | タイ諸々

つれづれに

この数年、右往左往の毎日だった。

いや、その前から行先もわからないまま前進していた。
いや、その表現もまた違う。
線路も道路もないジャングルを切り開き、線路のレールや枕木を作ることから始め、
右に線路を引いたら大きな岩が立ちふさがったので、元に戻り、
今度は左に引いたら、崖にぶつかったので、また元に戻り、
前に行けるところを選びながら、一つ一つ線路を引いてきた。

普通ならば、ある程度の長さのレールがすでに用意されていて、
その形状や向きに従って気に入ったものを選び、つなぎながら前に進むものを、
レールを製鉄するところから始めていたのが私。

製鉄のやり方を覚え、レールを作ることを覚え、
航空写真で目の前にあるジャングルの全体像を初めて見たら、
私はぐるりと回って元の位置に返ってきていた。

振り返る後ろはない。
前を見ると、これまで試行錯誤で作ってきたレールの残骸が散らばっている。
無我夢中だったとき一度通ったところなので、以前よりは視界が開けている。

初めてジャングルを目の前にし、線路を引いて列車を通そうと思った時より、年も取ったし、体力も落ちた。
ジャングルの向こうを見ることや、列車を通すことはできないかもしれない。
でも線路だけは引いておこう。
後で誰かが通るかもしれないから。

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# by chachamylove2003 | 2013-08-28 15:52 | 私的なこと

母の三回忌

この2年間、私は一体何をしていたんだろう。
実母の三回忌を忘れていた。
私は、母が亡くなって丸三年が経ったと思っていたけど、
親戚の指摘により、丸二年だから、三回忌をしなければならないことに気づいた。
こんなことを忘れるなんて、私の記憶力は現在最悪。
お母さん、ごめんなさい。
今年のお盆には絶対日本にいますから。
三回忌の招集かけますね。
合掌。マリコ
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# by chachamylove2003 | 2013-05-22 00:52

test

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# by chachamylove2003 | 2013-03-10 08:27

アジアの泥棒の慈悲

知り合いが中国の雲南省ですりにあい、中国元をほとんど全部もってかれたらしい。
でも屋台で食べる一食分の小銭は、財布の中に残してくれていたとのこと。
アジアの泥棒の慈悲と言う。

そういえば、私も同じようなことがあった。
海外にいてもそれほど危険な目に遭ってきたわけではないが、
タイで住んでいた下宿でどろぼうと鉢合わせしたときは、さすがにびっくりして声もでなかった。

20年近く前になる。
タイのコンケン大学にいたとき、大学のそばの部屋を借りていた。
小さな小さな一軒家で、小さな2階(ロフトと呼ぶほどおしゃれなものではない)が
ついていたので、私はとても気に入っていた

小さな2階の部分にベッドを置き、階下で食事や勉強をして過ごしていた。
窓には格子がついているが、窓自体のカギはゆるゆるなので、
なるべく現金は部屋に置かないことにしていた。

ある日、本を読んでいて、床に就くのが朝の4時ごろになったことがあった。
2階のベッドで爆睡していたが、なんとなく人の気配を感じて目を開けた。

私はひどい近眼。眼鏡を外すと何も見えない。
朝の薄明かりのなか、目の前に誰かの姿がぼやっと見える。
「あれ?昨日、うちに誰か泊まったかな?」

私が最初に考えたことは、昨日寝るまでの自分の行動。
「いや、一人で本を読んで、明け方寝た。誰もうちには泊まっていないはず」
ちょっと間をおいて、急に怖くなった。
「じゃあ、誰だ!目の前にいるのは!」

声が出なかった。
でも体は起こすことができた。
すると、目の前のぼやけた姿が階段を下りる「ガタガタ」という音とともに消えた。
「ぎゃー!」やっと声が出た。

実際、怖い目に合うとホラー映画の女優さんのような叫び声をあげることができないことを初めて知った。
そろそろっと、階下に降りた。
ドアが開いている。
ドアの横の窓を見ると、鉄格子が見事にゆがめられている。
そこから手を差し込み、ドアの閂を外したようだ。

「あ、カメラ」
その時一眼レフのカメラを持っていた。
あわてて確かめてみると、カメラはちゃんとあった。
それからテーブルの上の財布を見た。
中には20バーツ紙幣が一枚(60円ぐらい)。
もともと多くの現金は入っておらず、500バーツぐらいを取られただけだが、
20バーツ札は入っていなかったはず。
私のお金を抜いて、わざわざ20バーツ札を入れてくれたのだ。

その話を、タイ人の友達にすると、「タイ人は情け深いでしょ」と笑った。
向かいの人に泥棒に入られた話をすると、
「そりゃあ、怖かったでしょう。でも無事でよかった。
きっと驚いて、クワン(魂)が飛び出しているから、儀礼しなきゃね」
あれ、こんな時に、招魂儀礼か~。
確かに私はその後しばらく、夜ひとりでいるのが怖くなって、友達の家に避難していた。
魂の状態はよくなかったといえる。

もちろん部屋のオーナーや警察にも届けた。
オーナーは、怒り心頭で
「最近、泥棒が増えてんだよ。だから早く拳銃を買わなきゃ」

私服警察官が2人来て、泥棒に入られた時の状況を詳しく聞いていった。
私の部屋から朝早く飛び出していった男を、近所の人が目撃していたので、
どこの誰が犯人かというのはわかっていた。
それでその犯人の家に私も連れて行かれることになった。

一人の警官の車に乗り込むと、急にその警官は言い出した。
「私に妻はいない」
『?』
「いや、正直に言おう。以前、結婚していたが、うまくいかなくなって、妻とは別れた」
意味がわからない。これから泥棒の家に向かおうというときに、初対面の私に何を言いたいのだ?
私は沈黙を守った。
「いや、無理にとは言わない。でも勉強ばかりしていてはいけない。週末だけでも僕といっしょに人生を楽しもう」
『・・・』
泥棒と鉢合わせをしてショックを受けて、魂が抜けている私に対して、
なんなんだ、これは・・・。
そのまま沈黙を続けていると、ほどなく犯人の家であろう場所についた。
警官は、私を車に残して一人で降りて、家に向かった。
しばらくして帰ってくると、犯人はすでに逃げたため不在。
家族にはバンコクに行くと言って出て行ったという。
そしてそのまま被害届を出すかどうかの話になり、私は自宅に帰された。

その後数日して、泥棒の親だという村人がやってきた。
「村の人の目もあるし、大した金をとられたっていうわけじゃないんだから、
その分お金をこっちから返すので、被害届を出すのはやめてくれ」
つまり示談の相談。
でもすでに被害届出してしまったし、私の家に入ったのが初めてだったわけではなく、
それまでも近所の部屋のカギを壊して泥棒に入っていた常習犯だったらしいのだから、
それはちょっと応じることはできなかった。

なんやかんやでバタバタした日々をしばらく過ごしていたが、
結局、泥棒は捕まることはなかった。

「アジアの泥棒の慈悲」の顛末記でした。マリコ
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# by chachamylove2003 | 2013-03-08 00:09 | 東北タイ

久しぶりのカチン

年齢のせいか、このところ怒りに駆られると心臓がバクバクするので、
何があっても怒らず、何事にも冷静に対処する生活をおくってきた。
しかし、今日はさすがに頭にカチンときた。

数か月前、一度会っただけのタイ人女性から突然電話があった。
日本人の夫に殴られ、興奮して泣きじゃくりながら助けてくれと訴えている。
その時は、話を一応聞いてから冷静になって自分と娘の将来のことを考えて・・・と言って電話を切った。
以前から、DVの話は聞かされていた。
夫が子どもの父親としての責任感がある男性ではないことも、接したことがある日本人たちから聞いていた。
その男性に会ったことがある人は誰しも、彼女に離婚を勧めていた。

夜になって、また彼女から電話があった。
また殴られて、殴り合いのけんかになったので、警察を呼んだと。
あわてて、今評判になっているワンストップ型の電話相談を紹介して
そこで対処の方法を聞いてみた方がいいと告げた。
そこには外国語ができる担当者がいるはずだ。

彼女も電話をしたらしい。

しかしその後、なぜか私のところに警察から電話があり
現状を説明され、今回は警察が夫に厳重注意をし、被害届は出さないことで双方が納得したと言われた。
「あれ?そんな話になっていたの?」
私は距離的に遠くて会いにいくことができない。
それに離婚やビザやら、法律的なことはさっぱりわからない。
だから電話相談室に連絡してもらったのに。

今度は、私の方からその相談室に電話をかけた。
「本人からの依頼でしか、こちらは相談を受けない。
彼女にこちらにもう一度電話をするように言ってください。
住所が近い団体の電話番号を教えるので、
彼女がそこに直接電話して相談するようにしてください。
電話する時間帯は午前9時からにしてください」

おいおい、ワンストップサービスって、単に関係諸団体の電話番号を告げるだけの電話サービスか。
私はてっきり、向こうが関係諸団体に本人に代わって連絡してくれるものだと思っていた。
これって、単にたらいまわしって言うのじゃないか。
久しぶりにカチンときた。

タイ人である彼女は、日本語がうまくない。
だから、一生懸命状況を説明しようとしても、なかなか理解してくれる人がいない。
日本の法律も何も理解していない。
そこが問題であるのに・・・。

ふと、認知症の父親の介護をしていた時のことを思い出した。
継母の暴言に耐えながら、父のために文字通り一日24時間、自宅で介護していた。
ヘルパーなどを頼みたくても、継母が反対して、他人を家に入れてくれなかった。
フラフラになりながら、やっと時間を見つけて、保健所に行った。
介護保険制度がなかった頃なので、相談先は保健所しかなかった。
保健師さんが一度来て、一度家の状況を見てくれた。
その後、連絡がないまま、父の葬式の日に保健師さんから
「その後、どうですか?」という電話があった。
「今、葬式の最中なので失礼します」

助けは、必要な時に得られるものではないと悟った。
でもそれではいけないのではないかとも思った。
どういう方向に進めばいいのかわからないとき、
一人ぼっちで、前が全く見えないとき、誰かの助言が必要。
それが公的機関の役割ではないのかと。
問題がある人は、平日の公務員時間に電話をかける時間がない。
私はそうだった。
だからなかなか助けを求めることができなかった。

また夜中に彼女から電話があった。
今度こそ、離婚を決めたと。
先は長いと思う。
DVはなかなかやめられない。
他人が口出すことではないが、
相談窓口が単に電話番号案内サービスであり続けるなら
いつまでも問題は解決しない。

久しぶりにカチンときたので、
友達にそこの相談室の内情を聞いた。
「みんな、予算の取り合いに忙しいので
時間がかかりそうな相談にのりたくないのよ」
お上からの予算で運営されている団体の宿命か。

ああ、またカチンときた。
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# by chachamylove2003 | 2012-11-22 01:36 | 大阪

本質・クラゲ

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東南アジア大陸部4か国を駆け抜けて、帰国しました。
大学にいたときは、これほど自由に駆け回ることができませんでした。
頭の片隅には常に、調査しなきゃ、フィールドから離れてはいけないという
脅迫概念みたいなものがあり、自分で自分の行動を制限していたところがあります。

帰国後、近所の公園に行くと花見宴会の人々で満員。
桜も散り始め、緑の葉が目立つようになりました。
季節はめぐり、あっと言う間の一年でした。

昨年の春、桜を見に行ったのが、実母とともにした最後の時間でした。
昨年、洪水に覆われたバンコク周辺の田んぼでは、その後すぐに田植えがなされ、
今、黄金の稲穂が実っています。
今年は豊作です。

時は容赦なく過ぎ去り、今を過去へと変えていきます。
季節は着実に移り変わり、生まれる者、死ぬ者、病める者、すべてを巻き込み
様々な想いを、桜の花弁のように、風に乗せて遠くに運びます。

心理テストで、私の本質は「クラゲ」と言われてしまいました。
ふわふわ、ふらふら、自由に、柔軟に(なんせクラゲですから、柔らかいでしょう)
流れに逆らわず、いろいろな光を反射し、その色を身にまとい、
遠くまで流れていく。

その目的は?生まれて、生きて、天寿を全うすること。
高尚な思想や野心とは無縁で、日々生き、敵が来ても相手を攻撃せず、
台風が来れば傘を閉じ、死んだように動かないけれど
いつかはまた、傘を広げて、漂い始める。
本当の強さ。生きる強さ。

そんなクラゲでいいじゃないか。
クラゲは、日本を超えて世界を漂います。
そしてあちこちで引っかかりながら、
そこの光を映し出します。

春冷え。公園に座っていると寒くなってきました。
桜を見て、つれづれに。まりこ
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# by chachamylove2003 | 2012-04-16 13:33 | 私的なこと

A Happy New Year 2012

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よいお年をお迎えください。マリコ
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# by chachamylove2003 | 2012-01-01 00:40 | 私的なこと

第4回IDoCafe@盛岡

これまで大阪で行ってきましたが、
第4回の I Do Cafe は、岩手県で行います!!

I Do Cafeの「I Do」は、
「自分でやる、自分から始める」という意味と、
文字通り「井戸」、または「移動」の意味もあります。

今回のテーマは、
I DO Project からひろがる、それぞれのI Do,We Do
です。

フィリピンの井戸掘りに関わった人たちが、
その後、それぞれの想いを、自分たちの現場で発見し実現しています。

社会に貢献したいという想いを、フィリピンに井戸を掘るという形で
実現した方々がその後、個々のI DoやWe Doを発見していったのか、
その過程や意識の変化を
「いわてGINGA-NET(災害支援活動)」や「 I Do project(国際協力活動)」
に取り組んでおられる人たちから、
現在の活動についてお話いただき、参加者の皆様と共に、
これからのI Do, We Doについてディスカッションしていきます。


★I Do Project
フィリピンの山岳地帯のしょうがい児支援や農村部の経済的自立支援活動を
おこなっているJPComが主催するフィリピンスタディーツアー参加者から、
H20年より始動したプロジェクト。
第1弾は、ポストカードの販売収益でフィリピンの村に井戸を掘る活動を
行い、H23年3月に フィリピンのマナオール地区に井戸が完成する。
その後、共に活動を行ったメンバーを軸に今年11月、新たなる第2弾の
フィリピン支援プロジェクトが始まった。
http://idopro.blog134.fc2.com/


★いわてGINGA-NET
東日本大震災での支援活動をきっかけに、学生たちが立ち上げに動いたNPO。
この夏、千人を超える学生ボランティアが岩手の被災地を支援する「いわて
GINGA-NET プロジェクト」に参画。
災害やまちづくりをキーワードに、若者の熱い想いを形にできるよう応援している。
http://www.iwateginga.net/


■日  時:2012年1月21日(土) 13時30分~16時30分
     (受付は13時~)
■会  場:いわて県民情報交流センター・アイーナスタジオ
     (JR盛岡駅から徒歩4分)
      http://www.aiina.jp/access/access.html
■参 加 費:無料
■定  員:30名
■主  催:C4C
■共  催:岩手県立大学学生ボランティアセンター
      いわてGINGA-NET
■申込方法:お名前、ご所属、電話番号(当日連絡がとれる)を

      ご記入の上、メールまたはFAXにてお申し込み
      下さい。
      【メール】community_4_children@yahoo.co.jp
      【FAX】 06-6621-7139
           (コミュニティ・4・チルドレン 加藤まで。)
※終了後に懇親会を予定しております。
 お時間がございましたらぜひご参加下さい



★I Do Cafe って、どんなCafe?
想いを形にし、社会に貢献しようとしている人々が集う、
ちょっと変わったCafeで、どなたでも参加していただけます。
毎回ゲストにお越しいただき、その方が実践されている I Do を
聞かせていただきます。
ゲストのお話を聞くだけではなく、参加者間でも、I Do や We Do
をディスカッションしていきます。
この I Do Cafeが、広がりやつながりといった、新しい何かを生み出す
きっかけの場になれば、幸いに思います。

第1回:東日本大震災被災地の子どもたちへの支援
http://ameblo.jp/community4children/entry-10946623985.html

第2回:映像を通して伝えるリアル
http://ameblo.jp/community4children/entry-11009513171.html

第3回:フィリピンにおけるしょうがい児支援について
http://ameblo.jp/community4children/entry-11075465349.html

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# by chachamylove2003 | 2011-12-19 14:45 | C4C

タイの洪水まだまだ

今回、2週間ほどタイに滞在したけれど、
そのうちほとんどチャンマイにいた。
チャンマイでは、洪水難民のお金持ちがワサワサいた。
テレビで見たことがある俳優やモデルも、タイ人向けレストランでみかけた。
学校も仕事も休みで、水が引くまでどうしようもないので、
家政婦さんや、親戚の誰かに留守番してもらって
家族や友達で、水の被害のない北部や南部に遊びに出ているって感じだった。

帰りに一泊だけバンコクの友達の家に泊まった。
バンコクと言っても、西の方。ちょうど、洪水で困っているところ。

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「洪水につき、注意して車を運転してください」という看板。
注意するもなにも・・・。

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バイクは大切だから、高いところに駐車しないとね・・・。

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車も、土嚢の上に駐車してます。

1か月前より、だいぶ水は引いたっていうけれども・・・

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ごみを放り出したまま、住人は田舎へ帰った。
こういうとき、田舎があるっていいな~。

もうすぐ12月5日。国王の誕生日であり、父の日でもある。
多くの人々が、家を片付け、仕事場を掃除するために、この週末帰ってきた。
まるでタイ正月の休暇明けみたい。

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今年も、12月の飾りつけ。
にぎやかだけど、普段より控えめかな~。
そして今年のカラーは、いつもの黄色ではなく、ピンク色。
赤でもなく、黄色でもなく、ピンクですか~。
微妙な色。王妃の誕生色だったっけ?

何はともあれ、駆け足の一日でした。

まりこ
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# by chachamylove2003 | 2011-12-03 23:00 | タイ諸々