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母の手帳

母が去年まで住んでいたマンションの部屋に行った。
足腰が悪くて、もう戻って住むことがないだろうけど
なつかしそうに、いろんなものを引っ張り出していた。

その中に、メモ帳があった。
日記帳はなく、家計簿代わりに使っていたメモ帳。
70年代のメモ帳にも、80年代のメモ帳にも、90年代のメモ帳にも
1月12日の私の誕生日の欄に
「お誕生日お目出とう」と書かれていた。
17才、18才、19才、、、、、。
ずっと私のことを忘れず、私の成長を願ってくれていた。

もう一冊、家計簿代わりの小さな手帳があった。
それは、私を妊娠していた年の家計簿。
プロパンガス1100、家賃2000、醤油一升ソース2合180、米1升1350、、、
・・・プレナタール(妊娠中の栄養補給剤)、安産腹帯、、、、
質素な食事、質素な生活が、家計簿から浮かび上がる。

私は何で作られたのか。
ごぼう、チーズ、きゅうり、ピーマン、ねぎ、キャベツ、
魚(はも)、ぶり、氷、スイカ、、、、、
妊娠後期になると、食欲が増加したのか食べる量も増えてくる。
ホットケーキ、りんご、カルピス、、、。

出産予定1月12日
1月10日入院
体重も毎週つけている。
最後は12月28日14貫200(53.25キロ)

私は自分の母子手帳を見たことがないけれど
これが、私にとっての母子手帳のようなものだ。
自分がどのように産まれたのか。
そんなこと、普通の人は10代の頃に知るのだろう。
私は人生半ばを過ぎてから、やっと知ることができた。

でもうれしい。
若いときに、実母と会っていれば
きっと実母を含めていろんな人を恨んだことだろう。
私には彼女しかいない今になって
これまでどれだけ多くの人に支えられてきたのかわかった。
母を3人も持つなんていう人は、少なくとも身近にはいなかった。

もう誰も恨まない。
ありがとう。おかあさん。
産んでくれて本当にありがとう。
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by chachamylove2003 | 2010-02-28 22:28 | 私的なこと

親孝行

親孝行の親って誰?
いつも私を悩ませる問題だった。

中学に入ったとき
教頭先生に呼び出されて
「おまえの母ちゃん、どれやねん?」と言って
突きつけられたのは、私の戸籍謄本。
私の戸籍謄本は、いっぱい文字が書かれていて
すごく読みにくい。
私は、母の欄に苗字の違う女性の名前があるのを眺めつつ
小5の時死んだ母ではなく
小6の終わりごろに父と結婚した女性の名前を指差した。
そして何も言葉を発しないまま、その場から解放された。

母の日になると、白いカーネーションを買えばいいのか
赤いカーネーションを買って、二番目の養母にあげたほうがいいのか悩んだ。
悩んだ結果、ピンクのカーネーションを
養母にあげたが、生花は嫌いだといわれて
二度とあげることはなかった。

私にとって、母とは産みの母ではなかったが
生まれてから小5まで一緒にいたのが、母だと思うようにした。
小さい頃の思い出は、時を経るごとに美しく昇華されていく。
でも私を産んだ人への想いは募るばかりだった。

東北タイの農村で、よく仏教寺院へ行った。
毎朝、年配女性たちが食施に行くのについて
私も一緒に功徳を積んだ。
タイの母は言った。
「この経を唱えているときに、両親や恩人の顔を思い浮かべることで
功徳を送るんだよ」
私は正直に問うた。
第一養母はすでに亡くなり、第二養母が今の母で、
それとは別に会ったこともない実母がいることを告げ、
私は誰に功徳を送ればいいのかと。
実母に功徳を送りたいが、顔も知らない、生きているのかどうかも
知らない。
タイの母は答えた。
「それでもマリコを産んでくれた実母が一番功徳を得るべき。
想いを届けなさい。いつも心で思いなさい。
そうすればマリコが積んだ功徳が届くから」

私はタイにいるとき、いつもそうしてきた。
だから、だからこそ、実母に会うことができたんだと思う。
タイの母に感謝。

そんなことを考えながら
今、実母の古びたセーターの毛玉を
毛玉取り器で取っている。
あまりに古いので、新しく買ってあげようかと思ったが
きっと大事に使ってきたので、捨てたくないのだろう。
私が毛玉を取って、家でクリーニングすることにした。
じーーじーーーっと毛玉取り器で気長に毛玉をとりながら
なんとなく幸せを感じている。
これも親孝行になるのかな。
マリコ
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by chachamylove2003 | 2010-02-23 00:15 | 私的なこと

実母に会いました

ずっとやろうやろうと思いながら
父にも養母にも禁止されてきた実母探し。
生まれてすぐ私は養子に出されたので
全く顔も知らない実母。
きっと結婚して、子どももいるだろうと思っていた。
家族がいたなら、それはそれで幸せに暮らしているのだろうから
遠くから眺めるだけでいい。

勇気を出して、戸籍謄本を取り寄せてもらった。
謄本を取る理由に「実母探し」と書いた。
その結果、実母は私を産んだ後、結婚もせず
子どもも産まず、一人で暮らし、
一人で認知症老人用のグループホームに入ったことがわかった。

居てもたってもいられず
グループホームに会いに行った。

全然ボケてなかった。
私を産んだことも覚えててくれた。
「生きてるうちに、会えるとは思わなかった」と泣いてくれた。
私も胸が一杯で、苦しくて苦しくてならなかった。
ずっとずっとその人の顔を眺めていた。
今まで「お母さんと似てないねえ」と言われ続けてきた。
養母で血が繋がっていないのだから、当たり前だろうと
心の中で叫んできた。
でも、私と似た顔の人がいた。
ずっとずっと顔を眺めていたら
「恥ずかしい」と言って、実母はまた泣いた。

何をどういえばいいのかわからない。
どう付き合えばいいのかもわからない。

私が去るとき、実母はまた泣いた。
「また来てくれるか?」
もちろん行くよ。
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by chachamylove2003 | 2010-02-06 14:37 | 私的なこと

喘息になりそう

開かずの間の一つ、納戸に突入。
40年の埃がたまっている。
あいも変わらず、岩石のような砂糖、昭和のサラダオイル、
味の素の山、赤くなったのりなどなどが出てくる。
その向こうに、私のものがあった。

小学生の頃、着た着物。
体操服。リュックサック。
そして前の母の着物。

見事に私のものは、捨てられていてなかったけれど
前の母のものに混じって出てきた。
そして見たことのある食器類。
そういえば、小さい頃、食器の分類がやたら細かかった。
正月用の食器。季節によって代える食器。

小学5年生の3月に、前の母が亡くなり
6年生の1月に次の母が来た。
その時、前妻のものを見るのは嫌だというので、
かなり物は整理したはずなのに
全く手に触れず40年弱、眠っていたものたち。
私が手を触れると、紙や風呂敷がぼろぼろと崩れ落ちた。

今日は丸一日納戸に居たのに
奥まで到達できなかった。
マスクも体中も黒く汚れてしまった。
咳が止まらない。
こんな作業、毎日できない。
しばらく休憩。
鼻の穴まで真っ黒だよ。
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by chachamylove2003 | 2010-02-03 01:42 | 私的なこと