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私は48万円

亡くなった母は、私の2番目の養母。
最初の養母は、私が10歳の時、癌で亡くなった。

私は生母の顔を知らない。
そのことを聞くと、いつも父に殴られた。
非嫡出子だから、生まれてすぐに父が認知し
父の正妻である第一養母が引き取って育てた。

母の遺品を整理していると古い契約書が出てきた。

ーーー
誓約証
従来貴殿に御世話になって居りましたが今般左の条件で別れる事に致しました。
一、慰藉料(手切金)として金四十八万円也を貴殿より確かに受領致しました。
二、今後貴殿に対し物心共何事の要求も致しません。
三、○○○○○(私)は貴殿の御自由に任せ将来私より絶対に干渉致しません。
右後日の為誓約致します。
ーーー

つまり私は48万の手切れ金とともに
生母から手放された。
何十年も前のことだから
今ではもっとお金の価値も上がっていることだろうけど
そんなもんか。

小さい頃、私が路地で遊ぶ姿を遠くから見ている女の人がいたと
近所の人が言っていた。
それを聞くと、ますます父は私を家の中に閉じ込めるようになった。
幼稚園や学校も遠くへ通わせた。

誰が悪いとはいえないけれど
一番人生を振り回されたのは私。
私は何者なのかを知る手段を最初から閉ざされている。

家族が全員亡くなった今、
やっと生母探しをしてもいい立場になったのかもしれない。
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by chachamylove2003 | 2009-12-31 01:19 | 私的なこと

猫の不思議さ

母の遺体とともに、一人で実家に居たとき
ドアの外で猫が鳴いていた。
外に出てみると、飼い猫らしいトラ猫が
私にすりすりしてきた。
人なれしていて、とてもかわいい。

そして家に入ろうとする。
「どうして?家に何があるの?」
と聞いてもわからない。

母は猫などの小動物が大嫌いな人だった。
だからえさをやって可愛がっていたとは思えない。
どうしてこの猫は家に来るのだろう。

その後数日間、猫は家のドアの前で、
みゃーみゃー鳴いていた。
そしていつの間にか来なくなった。

母が3日間、冷たい床の上で動けなくなって
助けを求めていたとき、
その声を聞いていたのは、この猫だったのかもしれない。
その声に答えて、猫も鳴いていてくれたのだろうか。
皮肉なものだ。
最期を共にしたのが、母が嫌いな猫だったとは。

私が来て、母が亡くなり
猫も自分の役目が終わったと感じたんだろうか。
もう来ない。
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by chachamylove2003 | 2009-12-31 01:05 | 私的なこと

母の死

猫も杓子も走る12月に母が亡くなった。
最期は哀れで悲しいものだった。

ヘルパーさんが電話をかけてきた。
「インターホンを鳴らしても出てこられないのですが、、、」
あわてて自転車を走らせて行くと、
配水管の工事をしてくれていた業者の人も家の前で待っていた。
「昨日連絡を取ろうとしてもできなかったので、不安になって、、、」

みんなで家に入ると、母が倒れていた。
ビックリして声をかけると、うなずいてくれた。
意識はあるようだった。
でも汚物にまみれ、手足は凍傷にかかっていた。
エアコンはかかっていたが、倒れて床の上から起きられなくなって
溜まっていた新聞から推測すると、
少なくとも3日間は経っているようだった。

救急車を呼んで、病院に搬送されたが
そのときにはもう意識がなくなっていた。
低体温症。体温が24度しかなかった。
平たく言えば、凍死に近い状態。

病院の救急病棟の前で待っている時間は長く感じた。
最近の病院は、どういうシステムなのかよくわからないが
「居てもしかたないので、一度家に帰ってもらって結構です」と言われた。
一度家に帰って、風呂に入り保険証を探した。
夜中の一時ごろ、病院から電話がかかってきて
「危篤状態です」
そんなことは、最初からわかっているだろうが、、、と思いながら
病院に駆けつけた。
まだ小康状態だった。
おばさんに電話したが、夜遅いので様子見ということになった。

病院の内外をうろうろした。
外は寒かった。
携帯で呼ばれた。
行くと、もう心臓が止まっていた。
死亡確認した。

それから家に帰るまで長かった。
葬儀屋を呼び、遺体の処理が終わるのを待ち
実家に運び、
あわててちらかっている部屋を片付けて
遺体のための布団を敷いた。

朝になっておばさんたちが来るまで、私は一人だった。
遺体になった母と一緒に。
急なことなので、次に何をしたらいいのかわからない。

そんなこんなで、バタバタと仮通夜、通夜、葬儀が終わった。
あまりにあっけない最期だった。
意地っ張りで、外面だけがよくって、家に執着した母らしい最期だった
とも言えるが、もっと平穏な最期を迎えることもできたんじゃないかと
思った。

考えれば考えるほど、後悔の念を押さえることはできないが
何を言っても聞かなかった母だから、しかたないと思うしかない。
最期の3日間は、寒い中、一人で助けを求めて待っていたんだろうと
思うとかわいそうになる。

そういえば、ちょうどその頃、私はなぜか心がザワザワして
死ぬことばかり考えていて
どうしようもなく、真夜中に突然友達に電話したりしていた。
どうして死ばかりを考えるのか、自分自身が理解できなかったが
それを虫の知らせというのだろうか。
もっと自分の心に素直になればよかった。

78年の生涯に合掌。マリコ
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by chachamylove2003 | 2009-12-31 00:50 | 私的なこと