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メー・スックの追善供養

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朝のお寺。食事を寄進している様子。

メー・スックは苦労人である。
多くの子供を育てただけでなく、夫を早くに亡くし、そのときの治療費を捻出するために、すべての土地を売ったことから、長らく生きていくのに必死だった。
子沢山が幸いし、メー・スックの面倒を見てくれる娘や送金してくれる息子が、入れ替わり立ち代り現れるため、現在は老後の安定した生活をしているようにみえる。
しかし子供たちのなかには、幼い頃亡くなったり、けんかの最中に拳銃で撃たれて亡くなった者もいる。また離婚・死別・再婚などを繰り返す者やアル中気味の者もいる。
子供や孫に何か不幸があるたびに、メー・スックは立ち上がる。
立ち上がると言っても、お金や権力は、それだけで解決できるほど持っていない。
お金で解決できないことは、占いや神託に託すのである。
あちらこちらの占い師に相談したり、お祓いをしてもらったり。
占いや神託のうえに、功徳を積み、それを転送する追善供養も定期的に行っている。

いつも死者に花を手向け、気にして生きているメー・スックにとって、
寒い夜は、幼少の頃亡くなった子供に思いを馳せる。
「あの子もあの世で寒がっているのではないだろうか」
メー・スックにとって、あの世はパラレルワールド。
いとしい子供は向こうの世界で、こちらと同じような生活をしている。
ただ自分には直接、触ったり目にすることができないだけ。
どうしても気になり、何十年も前に死んだ子供の追善供養のために、供物をそろえた。
僧侶が使う道具セットと子供用の毛糸の帽子とカーディガン。
それをある日、朝の食事の寄進のときに、食事とともに僧侶に差し出した。
僧侶はそれらを受け取ってから言った。
(僧侶は寄進されたものを拒否できない)
「こんなもの(子供用の毛糸の帽子とカーディガン)、僧侶は使えない。僧侶には僧侶の作法がある。僧侶には僧侶の着物(黄衣)があり、それ以外のものを身につけることは戒律に反することである。正しくない行いは、他の人が見て継承してしまわないように、きちんと正さなければならない。それ相応の規則に従って正しく行わないと、大きな功徳を積めない」

これを聞いたメー・スックは心の中でこう言ったそうだ。
「これらは、死者に手向けた供物であって、僧侶にあげたんじゃない。僧侶が使えないものであることぐらいわかっている。ずっと私はこうして来たのだから、これからもこうするのだ。別の寺で同じように追善供養をして、子供の服を差し出したとき、僧侶は黙って受け取ってくれたよ。そして後で貧しい子供たちに配っていた。そんなこと、わかっている。別に貧しい子供たちにあげたくないわけじゃない。死んだ私の子が寒がっているんじゃないかと思って、あげようとしただけ。その後、誰に使ってもらおうとかまわない」

メー・スックに同意する人は多い。ある人は「僧侶は郵便配達人なんだから」と言う。
つまり僧侶は、功徳を向こうの世界に転送する役目を担っている。それだけでなく、それ以外のことはできないという意味も込められている。だから黙って功徳を転送していればいいものを、文句を言うなんて、、、。と、いうのが、特に年配女性の意見。
でも直接、僧侶本人に愚痴を言うわけではない。黙っているか、僧侶の陰口をたたくだけ。

「これまでずっとこうしてきたから、これからもそうする」というメー・スックの言葉には、僧侶への少しの怒りと自分たちの宗教的実践に対する自信が見て取れた。メー・スック、偉大なる母です。尊敬。合掌。マリコ
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by chachamylove2003 | 2008-12-30 23:58 | 仏教

マンゴシャワー再び

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絶対にヒンシュク買うと思うけど、、、、東北タイ冬の名物、野ねずみ。もちろん食べるのよ。最近は、環境破壊のせいか、なかなか見つからなくなったそう。

東北タイに来たのが冬だったため、体調の悪さはずっと風邪を引いたのだと思っていた。鼻がずるずる、くしゃみに、咳が少々。夜になると鼻づまりで呼吸が苦しくなる。
症状が風邪みたいなのだが、熱は全然でない。

ここ数日間、天は雲に覆われ昼間も暗かった。そして雨。
それもしとしと降る春雨のような雨。
思い出した!マンゴシャワーだ。

タイ語でfon cha cho mamuang、イサーン語でfon tok ham bak muang。
マンゴのつぼみが出て、花が咲き、受精する時期。
1月から3月頃の雨は、マンゴの花を洗い、その受精を助け、4月から5月頃に実を成らせる。
マンゴはウルシ科。結構強いアレルゲンになる。
私はマンゴの花粉アレルギーなのだ。
雨が降ったことで、なぜか鼻が楽になった。
空気から花粉が洗われたみたいだ。

稲刈りも終わり、今では手で脱穀する代わりに機械が一気に脱穀する。
籾殻を米倉に貯蔵して、東北タイの稲作は終わる。
そして次に田植えを行う5月頃まで、人々は乾季の仕事にいそしむ。
乾季の仕事のなかには、家の新築、結婚式なんかも含まれている。
新しい一年の始まりに向けて、準備が行われるのだ。
雨季までの間の乾季は、儀礼がたくさん行われる時期でもある。
それも雨季の雨乞いや雨占いに関連した宣託を含む場合が多い。
灌漑などの水利がほとんどない東北地方では、雨に頼って農業を行う。
豊かな雨への希求は、地元の口承文化や儀礼に常に見られるモチーフである。
人々は豊かな収穫をもたらす雨を毎年のように待っているのだ。

これから徐々に東北タイは夏に向かう。
夏という呼び方はちょっとおかしいけど、気分的には冬から春を飛び越して夏。
乾季の夏だ。
そして一雨ごとに暑くなっていく。
一番暑くなる4月頃は、果物がたくさん出回る時期でもある。暑いところでは、甘くておいしい果物がたくさん生る。
残念ながら、いつもその頃タイにいることができない。
せめて3月ぐらいにマンゴを食べたいなあ。

そうだ。いつもマンゴをたくさんくれる、トゥーおじさんに今から頼んでおこう。
彼の畑には大きなマンゴの木が何本も植わっている。そして毎年、たわわに実るマンゴを食べきれる人がいない。できたら、小さくてもいいからすぐに頂戴ねって。マリコ
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by chachamylove2003 | 2008-12-30 23:47 | 東北タイ

東北タイの家

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文章と関係ないけど、普段の食事。主食はもち米。体重の増加を毎日実感する日々。

東北タイ農村の家屋を建てるとき、方角に気を使う。中国式の風水ではないのだが、東側に仏像を置くことなどは、家屋の大小に関わらず決められている。

「ホーン・プーン」と呼ばれ、壁に仕切られた部屋ではないが、タンスなどで仕切りを作る場合もある。奥に小さな仏像が置かれた棚が設置され、他にも亡くなった近親者の写真が飾られていることが多い。この部屋は、祖先の部屋。血縁者だけが出入りできる。結婚後、入居した婿や嫁はこの部屋に入れない。未婚の息子が結婚まで寝室として利用する場合がある。
「ホーン・プーン」の前は、誰でも入ることができる居間となっている。この西側には壁で仕切られた部屋が作られ(ない場合もあるが、、、)、未婚の娘や新婚夫婦が過ごす。

私は未婚の娘のための部屋に泊まらせてもらっていた。
いままでいくつかの家に泊まらせてもらったが、長期でいる場合は、このような部屋に泊まった。未婚だからというよりも、多少のプライバシーがないとお互い疲れるため、配慮してくれている。やんちゃな小さな子供の目の前に、コンピューターやカメラを置いておくのは、非常に危険である。そしてこの家の住人である女性は子供二人とともに居間に当たるところに寝ていた。

ちょうど私が村に滞在しているとき、出稼ぎ先であるカタールから一ヵ月間、休暇をもらって婿が帰ってきた。2年ぶりの再会に、6歳と4歳の子供はおおはしゃぎである。
しかし私は、、、困った。どこに泊めてもらおうか。
周りの人もこの家の住人たちも、この部屋に泊まったらいいと言うのだが、ベニヤ板でかろうじて仕切られているだけの「個室」ではすぐ外で何が起こっているのか、わかってしまうのだ。
ましてや、人が寝返りを打つだけで家全体が揺れる。
全体的に安普請な家である。

夫婦本人たちが、この部屋に泊まれと言ってくれているので、そのまま泊まっているのだが、子供が寝た9時ごろからしばらく家全体が静かに揺れる。私の耳にはイヤーホーン。
うーん、精神衛生上よくない環境にある。

でもこんなこと、はっきり言えない。
向こうも言えない。私も言えない。
高床式の部屋の真下で寝ているお母さんも何も言わない。
だから私も何も言わず、なんとなーく居心地が悪いまま過ごしている。
マリコ
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by chachamylove2003 | 2008-12-22 23:47 | 東北タイ

私・あなた・かれ・かのじょ・かれら

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別に意味はないけど、東北タイ農村の夕焼け。

どんな言語でも、一人称、二人称、三人称が複数以上存在する。性別、年齢、そして社会的立場によって様々に使い分ける。
日本語でも、自分のことを「私」「僕」「俺」、相手のことを「君」「あなた」「お宅」「そちら」「・・さん」など、社会的な力関係や立場の違いによって呼称が異なる。
英語は「I」「You」など、その辺の表現が、結構、簡素化されているようだ。

タイ語は日本語よりも悩みが多い。
一応、タイ語の初級段階では一人称として男は「ポム」女は「ディチャン」と習うのだが、女性の場合、日常会話のなかであまり使うことはない。相手との関係のなかで、常に自分を位置づけながら一人称や二人称を考えなければならない。三人称となると、もっとたくさん表現方法がある。そんなタイ語は、私にとって非常に難しく、時に苦痛である。

タイ語も、そして東北地方で話されるラオ語(イサーン語)にも多様な呼称がある。タイ人ならば、その場の人間関係を一瞬にして把握し、自分を位置づけることができる。
例えば、若い女性は年上や目上の人の前では、自分のことを「ヌー」と呼ぶ。ねずみのことなのだが、自分を諂うときに使う。「ピー(兄姉)」「ノーン(弟妹)」も男女ともによく使われる。同じ年代の男女の場合、男性の方が高い位置にあるようで、男が自分のことを「ピー」と呼び、女も男のことを「ピー」と呼ぶ。男は女のことを「ノーン」と呼び、女は自分のことを「ヌー」と呼ぶ。といった具合である。
男>女、年上>年下という構図はわかりやすいが、他にも様々な要因が絡んで位置関係が決まるので難しい。先生>学生、役人>村人、政治家>一般人など。

私の場合、特に見た目が若く見られることから、よけいに話がややこしくなる。
知り合って間もない相手で、まだお互いのことをよく知らない段階が一番難しい。

明らかに相手の方が年下であると考えても、相手は私のことを年上と認識しないことが多い。そのため「ピー」が一体誰のことを指すのかわからなくなるのだ。
「ピーは、・・・でね」と話しかけられると、私は私のことを言っているものだと解釈して答える。または相手自身の兄さんか姉さんの話をしているものだと思う。しかし相手は自分自身のことを「ピー」と呼んでいた。だから、話がこんがらがってから、お互い誤解していたことに気づく。

日本語でもそうだが、一人称に自分の名前や敬称がよく使われる。日本語で言うと「お姉さんはね・・」「お母さんがね・・・」「おばさんはね」と自分のことを第三者のように呼ぶのだ。
私が目下であると思い、自分自身のことを「ピー」と呼ぶことで、すでに二人の関係において、相手は私より上に位置づけたのだ。
「上から目線」ってとこか。
気が弱い私は、そのまま訂正せずにやり過ごすことが多い。所詮私は外国人。タイ人にとってタイ国においては、ずっと目下であると解釈することもできる。

私は、どうも気恥ずかしくて自分のことを相手より上に位置づけることができない。明らかに私が自分のことを「ピー」「パー(おばさん)」「メー(お母さん)」と呼ばなければいけない場面でも、つい「マリコはね・・・」と話してしまう。

自分のことを「マリコ」と呼び始めたのは、いろんな場面で一人称をどのように使い分ければいいのか、よくわからないので、タイ人の友達に相談すると、自分の名前を使うことを提案されたからだ。例え、王族相手でも乞食相手でも、これなら相手に対して失礼になることはない。ましてや私は外国人。その社会に組み込まれているわけではないのだから、自分の位置づけに困るのは私だけでなく、相手も同じ。だから自分の名前を一人称として使うのは、いい提案だった。

「マリコはね、、、マリコはね、、、」と、まるで幼稚園児のような甘えた話し方になるが、タイ語の場合、日本語が与える印象ほど悪くはない。
それからずっと私は私のことを「マリコ」と呼んでいる。子供に対しても大人に対しても、役人に対しても、先生に対しても、、、。外国人としてはこれが無難。

それにしても、その場の人間関係を一瞬にして把握して、自分自身を位置づけ、呼称を選ぶタイ人はうやっぱりすごい。と、思うのでした。マリコ
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by chachamylove2003 | 2008-12-22 23:40 | タイ諸々

エスカレーターの恐怖

唐突ですが、私は高所恐怖症です。
小さい頃から屋根などの高いところに登って、降りて来られなくなることがよくあった。
年をとればとるほど、この傾向は強くなってきたように感じる。

何年も前にカンボジアのアンコールワットに行ったときも、
長い急な階段を登って神殿にあがった。
確かに上からの眺めはよかったが、降りられなくなった。
一緒に行った友達は、「先に降りてるねぇ」と言ってすたすたと行ってしまった。
目の前の広大な風景を見ながら、とてもじゃないが、足が伸びてくれない。
だから風景に背を向け、階段にしがみ付いて、這うように一段ずつ足を下ろした。
下から友達が「後10段、後9段、、、」とカウントダウンしてくれている。
何とか下まで降りて振り向くと、友達は拍手、アンコールワットに住んでいるドンチー(白衣の女性修行者)のおばあさんたちは、手を合わせてニコニコうなづいている。
かなり恥ずかしかった。

私の高所恐怖症は、高さの問題ではない。
下が見えると怖くて足がすくんで動けなくなる。
だから非常階段や螺旋階段、プラットホームの端、つり橋などが苦手。
透明なエレベーターに乗るときは、ひたすら昇降階のボタンを眺めている。
友達が住む高層マンションを訪ねたとき、ベランダに立つことができなかった。
なぜならベランダの柵(壁?)に飾りのための穴がいくつも開いており、そこから夜景が見えたからだ。
タイでは、エスカレーターも苦手。
横の部分が透明である場合が多いように思う。
例えば、多くの買い物客でにぎわうバンコクのショッピングセンターMBKのエスカレーターは吹き抜けにあって透明(もしかしたら記憶違いかも)。私にとっては最悪。
とにかく手すりのゴムにしがみ付く。下は見ない。

どうしてこんな話を持ち出したかというと
今日、コンケンで乗ったエスカレーターはそれ以上に最悪だったからだ。
地方都市コンケンでもMBKに似せたショッピングセンターが建てられた。
それはいいのだが、エスカレーターが透明。
最悪なのは、手すりが動かない!!!
エスカレーターは、足元と手すりが連動して動くから、手すりをつかむことによって体が安定するのだ。
その手すりが動かない、、、。
私は何にしがみ付けばいいのだ!!!?
何をつかめばいいのかわからないまま、足ががくがくする前になんとか降りた。
エスカレーターのこんなところをケチるなと言いたい。
本当に怖かったんだから。
マリコ

この写真と文章は全く関係ありません。
繭の色がきれいだったから載せただけです。
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by chachamylove2003 | 2008-12-11 00:51 | タイ諸々

タイに軟禁?ー稲刈り

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タイにいます。
2008年11月から2009年1月にかけてタイにいます。
多くの人にとって、空港閉鎖のため出入国ができず、大変な時期でしょう。
幸いにも空港閉鎖前に、タイに来て、年明けまでいるのでさすがに空港閉鎖もそれまで続かないだろうと高をくくっています。
ただしタイの政情に関する、私の最近の予想はことごとく外れているので次に何が起こるかわかりませんけど。

バンコクでは、黄色派と赤色派のデモとそれに絡む争いで、タクシーが捉まらなかったり(タクシーの運ちゃんは赤色派だと思われている)、交通渋滞やら学校閉鎖やらで、日常生活の不便を感じている人も多かったはず。それが、東北タイの地方都市に来ると、デモより「絹祭り」。県をあげての一大イベントのために多くの人が集まっていた。今年は、若者向けの歌手が呼ばれて無料コンサートを行うため、やんちゃな若者が多くやってきそうで、怖くて私は近づけない。

で、週末、県庁所在地から100キロほど離れた村に行ったら、村人全員が稲刈りのために不在だった。村の中にいても寂しいので、稲刈りを終えた後の田んぼを歩いて、あちこちで挨拶して過ごした。

「マリコは、どうして入国できたのだ?」というのが、村人の質問その1。
多くの村人が、中東やら台湾やらに出稼ぎに出ている。ちょうどこの時期、帰ってこようとした人が帰れず、行こうとした人が出られずで、バンコクの空港閉鎖の影響はここにも出ていた。数年ぶりに休暇をとって、台湾から一時帰国するはずだった青年の両親は、「最近のデモは、何をやってんだか。せっかく息子と会えると思っていたのに。すでに休暇願いを出していたので、別の日に休暇が取れるわけではないから、また後何年会えないことになるか、、、」
また別の人は、一時休暇で帰国していたときに、空港が閉鎖され出稼ぎ先に帰ることができなくなった。別の便の航空券を買ったり、陸路や空路を乗り継いでいける人はいいけれど、出稼ぎ目的なのに、そんなところで金を使っていてはもともこもない。

テレビのニュースを見ようにも、私が泊まっていた家のテレビは娯楽チャンネル3と7しか映らないという代物。政治のニュースは押さえ気味で報道されている。国の将来も心配だが、とりあえず目の前の稲刈り、脱穀、米倉への搬入を終えなければならない。それが日常生活。まずは生きていかなきゃね。

それにしても寒い。
村での水浴びは、心臓が止まりそうになる。
もう・・日間、周りの人が忙しくて私のことをそれほど観察していないのをいいことに、水浴びをしていない(聞かれても、「もう浴びた」と答えている。秘密、、ね)。
それほど寒くなることがないバンコクで、お湯を浴びている人が政治ゲームを司っているんだろうなと思う日々です。

マリコ
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by chachamylove2003 | 2008-12-01 16:31 | タイ諸々