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死の場面

東北タイの農村に長期滞在していた。だから農村のことをいろいろ知っていると思われているため、あまり人に言えないことがある。

実は、私、葬式の全行程を見たことがないのだ。

葬式は、人の一生の最後の儀礼。村中の人々が集まり、葬儀を様々な面で手伝い、死霊が速やかにあの世へ見送る。人類学でなくても、人が死とどのように向き合い、どのように対処しているのかを観察することは、非常に重要なことである。

なのに、私が村に居ると、誰も死なないのだ。
2000年から2002年にかけて一年半、滞在した時、誰も死ななかった。
90歳を過ぎて、痴呆症も出ている婆さん4人、爺さんが一人。密かに私は、いつ逝くのだろうと気をつけて、度々訪問して様子をうかがっていた。

なのに、誰も死ななかった。
だから私が見たのは、すでに式が始まってしまってから見に行った隣の村の葬式だけ。
大きな事故にあい、生死をさまよった叔母さんも結局、命を取り留め、病院から帰ってきた。
同居していた婆さんは、痴呆症がひどく、徘徊で家族は困り果てていた。それでも元気に徘徊していた。
エイズをすでに発症していた青年も、病院に通っていた。寝たきりの老人も私の顔を見ると、微笑んでいた。

本に書かれているものを読むと、人が死ぬとまずココヤシの水で遺体を洗い清める。そして三途の川の渡し賃として硬貨を口に詰め込む。そして夜になると酒の席が設けられる。私が知らせを聞いて、たどり着くのは、早くてもこの段階。ましてや、知らない村の親しくない人の家。次の日、火葬場までついていくぐらいしかできない。
酒宴のサービス係や皿洗いは、何度もやった。僧侶への布施や五戒の受戒も何度もした。でも、死の場面に出くわしたことがないのだ。日本に居るときの私とは大違いだ。

人類学の徒としては、失格。近隣村の村長たちに、「人が死んだら、すぐに知らせてくださいね」と頼んでおけばよかったのだろうか。
下宿先のお母さんに、このことを告げると、やはり首をかしげた。
「そうだったっけ?葬式に行ったこと、なかったっけ?これだけ長い間いるのに、変だねえ」
これを幸運と呼ぶのだろうか、それとも不運?

私が村を去ってから、老人が次々に亡くなった。若い人まで何人か亡くなった。
法事の寄付金請求のときだけ、国際電話がかかってくる。
「いくら功徳積む?」すべての人に合掌。マリコ
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by chachamylove2003 | 2007-07-19 09:07 | 東北タイ

雨の日のつれづれに

日本は梅雨。毎日雨が続く。東北タイも今頃、雨季の真っ最中か。

1990年代に東北タイの村に居た。そこの雨は、モンスーン特有の土砂降り。村の中の道路は泥の川と化す。天水頼りの農業を行っているため、雨は歓迎だか、いつも降りすぎて苗が流れていってしまう。天にいる精霊は、なんときまぐれなものか。

その頃、私が住んでいたのは、N婆さんの高床式の家。古い家なので、純木製であるだけでなく、一部を除いて壁がない。道路を歩く人を眺めながら、だだっ広い板の間で婆さんたちと一緒に蚊帳を吊って寝ていた。

蚊帳を吊って寝る前のひとときは、テレビの時間。白黒テレビの前に近所の親戚たちも集まり、扇子型に寝ころびながら大勢で見るのだ。中年以降の女たちばかりだから、浜に打ち上げられたトドが並んでいる状態。もうすでにイビキをかいている人がほとんど。

ある日、大雨が降った。壁がないので雨が寝ているところまで降り込む。トタン屋根に当たった雨の音と雷以外、何も聞こえない。そして停電。みんな起きて、雨を避けながら屋内を移動する。

「誰か、ロウソク、とってきて!」

若い子がロウソクを探し、やっとほのかな光で他の人が見えるようになった。
みんな、それぞれ枕を抱えて。枕を抱えたお互いの姿を見て、爆笑。
「なんだい、枕が一番大切なのか。誰も金品を守ろうと思わないのかい?」

急に降り出した雨によって元気になるのは男たち。田圃の畦が決壊するのを心配して、夜であろうとあわてて外へ走りだしていく。水量が増すので、魚を取りにいく人もいる。この地方の飲料水は、雨水に頼っているため、大きな水瓶にトタン屋根から伝う雨水を貯めている。流れる雨水を、水瓶に引き込むのも男の仕事。

東南アジアの雨はスコール。すぐにやむ。

次の日の朝、家の前にできた大きな水たまり。つっかけや雪駄が役にたたない。
台所に行くと、この家の婿が夜に取ってきた魚で一杯。バケツも盥も鍋も魚だらけ。そしてすでに働き者の婿は、魚を使ったスープ、ミンチサラダなどの料理に精を出している。

それを見た奥さんは、
「また、魚ばかり。もうあきたー」
この家のシェフは、婿さんです。

仲の良い家族の微笑ましい一日。
しかしそんな時間ももはやなくなってしまった。

今はどの家も最低一台、テレビを持つようになり、自宅で夜を過ごすようになった。
それに出稼ぎで現金を得た人々は、肉などのおかずを市場に買い求めるようになった。その上、魚を大量に取って売る人がいたため、それほど魚も捕れなくなった。
最近では、雷が落ちても、かなり電気の供給が安定するようになり、停電も少なくなった。

それでもたまに村を訪れた時は、婆さんたちと同じ蚊帳の中で寝る。知っている人たちの近況を話しながら。

雨の日、ふと思い出した東北タイの思い出でした。マリコ
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by chachamylove2003 | 2007-07-13 16:31 | 東北タイ