<   2006年 10月 ( 3 )   > この月の画像一覧

最後の会話

25日に大学に行った。同じ院生室のインドネシア人が聞いた。
「Yって二人いるの?Yが自殺したって聞いたけど、まさかあのY?」
何を言っているのかわからない。Yが自殺?まさかと思った。私が知っているYのはずはないと思い、彼の携帯に電話した。
女の人が出た。お母さんだった。
「Yは?」
「もう帰ってこない人になったのですよ」

それからは、もうドタバタ。
同級生でもあり、家も近かった。小学校の後輩でもあった。

最後の会話を思い出してみる。
23日の午後に会った。すれ違うときにちょっとだけ会話した。
「久しぶり、最近どう?」と聞くと暗い顔で彼は
「あきませんわ。詰まってしまって今年博論出せそうにない」
「そんなんゆうたら、私も同じや」
会話が暗くなるので、話しを変えようと思い
「最近私、毎日桃ヶ池(公園)の周り、走ってんねん」
彼の家のすぐそばの公園である。
すると彼は急に、にやーっと笑って言った。
「最近死体見ました?」
「いいや、最近みてへんわ」

それが最後の会話だった。
何年も前に、近所の公園での自殺の多さを話したことがある。
ホームレスが一番多かった頃は、年に13人も首つりがあった。
特に私は小さい頃、死体に遭遇しそうになったことがある。
朝練のため、池の周りを走っていたことがあり、たまたまさぼった日の夕刊を見ると、その日の朝、入水自殺した遺体が発見されたとあった。もし朝練をさぼらなければ、私が第一発見者となるところだった。
そんな話しを彼は思い出したのだろう。

通夜や葬儀で聞いた話を総合すると、彼は私とそんな会話をした後、近所の店へロープを買いに行って(レシートが残っていた)、その後勉強会に参加し、7時半頃友達と別れて一人になった。
そして閉まっている喫茶店の中に入って首をつったという。

1週間ほど前から調子が悪そうだったという。
でも私との会話は、彼に具体的なアイディアを与えてしまったのかもしれない。
道具を用意し、場所を探し、、、こだわりがあったようだ。
最後まで彼なりの美学を追究する人だった。

ご冥福を。合掌、マリコ。
[PR]

by chachamylove2003 | 2006-10-28 01:55 | 大阪

在日タイ人あれこれ

今日は東京に15年ほど住むタイ人の友達Mと、電話で久しぶりに近況を報告し合った。3人の子供の成長ぶり、新しい若い男の話、仕事の話、共通の友人のうわさ話、、、楽しくもあり、感慨も深かった。

彼女と初めて会ったのは、20年ほど前、遊びに行った東北タイの村で稲刈りを手伝っていたときだった。小学校を卒業した後、バンコクへ出稼ぎに出ていた若者たちも村に帰り、多くの人が参加した楽しい稲刈りだった。その若者たちの中にMもいた。
村一番の美人だなあと思った。

それだけのはずだった。

次に会ったのは日本だった。
その村出身の国会議員の日本視察旅行の付き添いを頼まれた。日本におけるタイ人女性の不法就労、特に売春の現状についての視察だった。そこに呼び出された同村出身の女性たちに会った。みんなスナックなどで働きながら売春をしていた。そこでMの話しを聞いた。彼女もまた売り飛ばされるような形で千葉のスナックにやってきたが、すぐに日本人の客に買い取られる形で結婚し、家から一歩も外に出してもらえないという。

何度か電話で話した後、彼女の家に遊びに行った。亭主の実家は水飲み百姓だったという。しかし空港ができたため、成田成金となり、一部の田畑を売ってアパートを経営していた。彼女のタイ時代の友達ということで、私のことも歓迎してくれた。
そしてタイのこと、私のことを根掘り葉掘りと聞き、自分自身のことも語ってくれた。
家が貧しかったため、中卒で建設現場、長距離トラックの運転手、タクシーの運転手などをした後、やっと今のアパート経営できるようになったという。水商売の女の人しか知らなくて、一度は結婚しようと思った人もいたけれど結局は破局。それで行きつけのスナックのママさんに、新しい女の子(タイ人)が来たら世話してくれと頼んでいたという。

そこにやってきたのが、Mだった。
すぐに180万円払い、身請けして結婚。右も左もわからぬまま、Mは17歳で日本人と結婚してしまった。

悩みは結婚10年目にして、Mがワガママを言い出したこと。子供が3人もいるのに、パートに出たいだの、タイに里帰りしたいだの、茶髪に染めたりだの、、、。Mは独学で得た日本語で言い返すことができるようになっていた。
彼は愚痴った。
「180万も払ったのに、どうしてタイにまで行かなきゃいけないんだ。沖縄から嫁に来た近所の奥さんは、結婚後一度も実家に帰ったことがないのに」
何度も180万、180万と言うので、思わず私は「安くすんでよかったですねえ。日本人と結婚しようと思ったら、結納や結婚式やらでもっとかかるもんねえ」と言い返してしまった。向こうはムッときたようだったが。

でも全体的な印象としては、多少日本語がしゃべれるとはいえ、小学校しか出ていないMが一人で生きていけるとは思えず、この程度の日本人亭主なら我慢して結婚生活を続けるしかないかと考えた。もっとひどい日本人亭主は、他に例がたくさんある。土地やアパートからの家賃収入があるわけだから、経済的に困っていない。

でもその後も連絡を取る内に、亭主の不審な行動が見えるようになってきた。妻や子供が逃げるのではないかと不安で、家に閉じこめたり、殴ったり、、、Mが言うには、私と会ったときの亭主は本当の亭主じゃない。猫をかぶっていたのだと。そして私のところにも朝早くから夜遅くまで、意味不明の電話がかかるようになった。

彼女はプチ家出を繰り返していたが、私が家に戻してもそのたびに暴力がエスカレートするようになった。そしてとうとう彼女は私の勧めで、子供を連れて女性シェルターに駆け込んだ。

その後ももめた。養育費を取って離婚しようという方向で、裁判に持って行ったが、そのさなか、亭主は大酒を飲んで、そのまま死んだ。彼の親戚は財産を隠し、養育費どころか子供たちが当然得る遺産なども全くないまま、親族関係は絶たれた。

その頃タイにいた私は、電話口で泣き叫ぶMをなだめていた。
「私が悪かったのよ。私が家を出たばっかりに、彼は大酒を飲むようになり、そのまま死んだ。私が殺したようなもの。悪行(bap)よ、悪行。私は地獄に堕ちるのよ」
「彼の寿命は、これだけだったのよ。酒飲んでみんな死ぬわけじゃなし、もともと彼は幻覚が見えたり、精神的に病気だったんだから。自分を責めるより、子供たちとどうやって生きるか考えて」

多くの人びとの助けで、一度は鬱になっていたが今は回復し、順調な人生を歩み始めたようだ。経済的には苦しいが、子供たちも学校でのいじめにも負けず、たくましく素直に育っている。7歳も年下の男を見つけて、子供たちも含めて疑似家族のように暮らしている。結婚するのかどうか知らないけれど、彼の助けは彼女の心の支えだ。

ずっと私も悩んでいた。あのとき、彼女に子供を連れて家を出ろと言ったことがよかったのかどうか。もし我慢してそのまま居続けたら、今より楽な生活が保障されていたのではなかったか。その方が彼女や子供たちのためになったのではなかったか。

今になってやっと思えるようになった。これでよかったのだ。彼女も子供たちも今の方が幸せだ。私は間違っていなかった。合掌。マリコ
[PR]

by chachamylove2003 | 2006-10-25 00:30 | タイ諸々

酒飲みの仏教実践

東北タイの村では、仏教行事に僧侶の参加が欠かせない。村をあげて行う共同体的な儀礼は、毎月のようにある。例え儀礼の先導者が俗人の宗教的リーダーであったとしても、最後の締めはやはり僧侶の読経であり授戒である。

人が多く参加するような機会では、僧侶は最後に在家が遵守すべき戒律である5つの戒律を授ける。具体的には、僧侶が一つ一つの戒律を詠みあげ、それを在家が復唱することが受戒するということになる。一端受戒してしまうと、24時間守らなければならない。戒律の遵守は、功徳を積む行為だと解釈されているが、もしその間に破ってしまうようなことがあれば、受戒しなかった時よりも悪い行為だとされる。「悪行(bap)」だと言われ、それまで地道に積んできた功徳を無くすだけでなく、地獄に堕ちるかもしれない。そのため受戒するときは、心して受けなければいけない。

このような仏教行事に受戒するのが好きなのは年配女性である。彼女たちが嬉々として受戒するのに対し、年配男性の反応はどうも鈍い。ごく一部の長老は受戒する以外、男性は受戒したがらない。それは男性だけが出家できる伝統のため、男性なら一生の内一度は出家し、227もの戒律を守って過ごしたことがあるからかもしれない。戒律に縛られる不具合さを自ら経験しているためだろう、不思議な行動をする男性もいる。

例えば、うちの向かいに住む50代のおじさんMは、人が集まる場が大好きである。当然仏教行事にも顔を出す。そして受戒する段になると、1から4までの戒律は復唱する(つまり受戒する)が、5番目の戒律は他の人が復唱するのを聞くだけで、自らの口を閉ざして受戒しない。

5番目の戒律とは、禁酒である。Mさんは酒が大好き。飲んで暴れるわけではないが、楽しく騒がしい酒を飲む人である。たびたび羽目を外して、奥さんに怒られている。酒が原因の夫婦げんかをした度に、奥さんは家出をし、周りの者は心配して仲を取り持つ。

奥さんにいやがられてもMさんは、酒をやめる気配がない。5 番目の戒律を受けないでいることを質問してみた。
「5番目の戒律、受けてないでしょ」
Mさんは、にやっと笑った。
「マリコ、見てたの?受戒して守らないより、受戒しない方がいいでしょ。それに戒律は一つ一つバラバラに受けることができるんだよ」

戒律ってバラバラに受けることができるのか?自分で選べるわけ?
でもMさんのように考える人は少なからずいるようで、ある日町の大きな寺で、住職の説教を聞いたときにも話題に出ていた。

「村人の中には、戒律はバラバラに項目別に受けることができると考えている者もいるようだ。それは授戒のとき、『ウィスーン、ウィスーン』というパーリ語が入っているからである。『ウィスーン』は、分けるという意味だ。でも戒律を分けて受けても効果はない。だからうちの寺では『ウィスーン』を入れずに受戒させている」

Mさんは酒が原因で肝臓が悪くなった。少しは酒を控えるようになったが、それでも5番目の戒律は受けていない。仏教行事の後の祝宴での酒盛りを楽しみにしている。相変わらず、奥さんと喧嘩は絶えない。

大酒飲みの仏教実践。これもまた仏教の民衆的解釈の一つである。マリコ
[PR]

by chachamylove2003 | 2006-10-21 16:59 | 東北タイ