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22年前の日記とM君

数日前に書いたことで、何人かの人に心配してもらった。ごめん。私は大丈夫ですよ。
22年の時を経て、やっと自分自身を客体化できるようになった。これだけ時間のかかる人間だから、東北タイの経験を客体化できるまでには、まだまだかかる、、、って、、か?

22年前の日記を読んだ。

元彼の葬式は、てんやわんやで、それはまた別の機会に書くこともあるだろうが、日記の中に何度か出てくるM君。

Mは元彼の高校の時の親友だった。葬式には、間に合わなかったが、その後法事や別の友達の葬式で何度か会い、少し話したことがある。

「あいつのことを覚えている人間が居る限り、あいつは生きている」
「(元彼の死のことは)オレに任せてくれ」

落ち込む私に励ましのつもりだろうか、何度かそう言った。そのとき、私はコトバを発することもできない状態だったが、日記の中では、こう書いている。

「任せろって何を?」

時を経てM君は、作家になった。受賞もしたし、今や立派な「先生」である。
A賞受賞作品は、長い間元彼の仏壇にも添えられていた。彼氏のお母さんにとってみれば、自分の息子が立派になったように感じたのかもしれない。

最初、論壇では賛否両論だった。「こんなもの、文学じゃない!」という声と、「斬新」という声が、半々といったところ。
しかし今や人気が後押しし、エッセイや小説は次々と出版される。
私もできる限り、買おうとするが、出版される量が半端じゃない。買うのが追いつかないほどだ。

M君の本を読めば、彼が何を背負って生きようとしているのかわかるかもしれないと思った。でもいまだにわからない。文学の世界は、私にとって遠すぎるのかもしれない。いつか彼が発するメッセージをその中に読み取れるのかもしれない。でも、いまはまだわからない。
私は同じ場所にとどまったまま。きっと私は、元彼の死を忘れようとしながら、その死の現実を背負うことを避けてきたために、身動きがとれないのかもしれない。

難しいことは、M君に任せようと思う。
考えたってわからない。どうしてこうなってしまったのか。
死者の痛みや悔しさを背負いながら、生きていくことが、自分の人生を生きていくことなのかなと、最近思う。
人は一人で生きていけない。生身の人間の中で生きていかなければならないというだけでなく、多くの死者たちにも支えられて生きている。すべての人は、死に向かって生きているのだ。

東北タイでは、この世で積んだ功徳や思いを、水に託す。その水は大地にしみこみ、地母神が生者の思いを、死者へと運んでくれる。
そして死者の魂は、年に何度か(日本で言えば、お盆)生者の元へ帰ってくる。

あ、そうか、もうすぐお盆だから、こんなことを鬱々考えてしまうのだ。
お盆前に帰ってきてしまった魂もいるみたいだ。
さあ、墓参りに行こう。私がこれから先も生きるためにも、墓参りに行こう。合掌、マリコ。
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by chachamylove2003 | 2006-07-27 00:27 | 大阪