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五戒とダヴィンチコード

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日本の大乗仏教とタイ上座仏教を比べるとき、いつもこれは別の宗教だと思うことにしている。もともとの経典には、共通する部分はあるし、様々な仏教用語が日本にも入ってきている。でも違うよ、これは。

日本のお坊さんが、五戒について言いました。

「殺生しない。盗まない。不純行為をしない。嘘をつかない。そして、華美な装飾をつけない、なんていう戒律がいろいろあるんですよ」

おい、おい、5番目の戒律は酒を飲まないってことじゃないの?それまで仏陀の教えから離れてしまっていいの?

近所の仏師が在家得度したというので、喜びの電話。「祝い酒あるから・・」得度式して、酒宴を催すのか?これも納得できない。でも納得できない私を他の人たちは、納得できない。「どうしてだめなの?」

逆カルチャーショックだ。

どこにでもなまくら坊主がいるし、いい僧侶がどんなものなのかは地域によって異なる。だから批判する気はないけれど。

日本にもたらされた経典は、日本人が船で中国に渡って、そこでたくさんある経典から適当に選んで持ち帰ったもの。そのとき、律蔵はどこかへ消えちゃった。時代や社会状況が違うから、必要と思われなかったらしい。そしてそのもととなった中国の経典群は、仏陀が生まれた地からチベット経由でもたらされたもので、その過程で様々な新しい経典が加わったり削られたりした上に、中国語に変な翻訳がなされてしまった「中国式」経典。

もともと仏陀が話した言葉などを、口誦で伝え、書き落としたものが経典と呼ぶのだけれど、そのような原始仏教の経典、今の上座仏教のサンスクリット・パーリ語経典が一番仏陀の言葉に近い。日本では南伝仏教と呼ばれ、翻訳もされている。その原典であるパーリ語経典でさえ、編纂されて今の形にまとめられたのは、19世紀。

つまり仏陀の話した言葉についての様々な伝承を集めて、それを編纂し、注釈をつけたものである経典は、常に変化してきた。そのとき、時代に応じていろんな「ありがたい」経が新たに付け加わったり、解釈が変化したため、経を変えたりといったことが行われてきたのだ。

今で言う「ダヴィンチ・コード」。キリスト教の聖書も同じ。別にダヴィンチ・コードは新しい話じゃない。聖書学っていうりっぱな学問もあって、聖書の成立やいろんなバージョンについて研究している。

でもねえ、もとの話に戻れば、酒ぐらいいいとは思うけど、僧侶として袈裟を着ているときぐらい、5番目の戒律である「酒を飲まない」項目を守って欲しいと思うのは、やっぱり私が上座仏教に洗脳されてしまったからなのでしょうか?マリコ
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by chachamylove2003 | 2006-06-04 14:42

行者まつり

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久しぶりに、ブログを更新する決意。で、一度書いたものが、消えてショック。また書き直すことにする。

今日は、奈良の浄瑠璃寺に行ってきた。毎年行われている行者まつりを見に行った。まつりと言っても、縁日が出るわけでもなく、住職による法要が行われるだけ。去年も、近所の仏師のKさんに誘われ、今年も仏像彫刻教室の生徒さんについて行った。私本人は、彫刻しないけど。

住職さんの法話を聞く前に帰ってきてしまったけど、その代わりと言ってはなんだが、「叡尊さま」の紙芝居と、口笛のような音を奏でる女性のうたの奉納と、伊勢音頭を鑑賞してきた。

日本の寺に行くと、つくづく私の教養のなさを感じる。日本の仏教のことも、日本史についての知識も欠けているため、何が何やらわからない。自分の身の置き所も、作法もわからないままだが、どこに行ってもそれなりに楽しむことができるのが、私の唯一の取り柄。

タイ仏教が私の深部にまで身体化しているためか、仏像の前に座ると、ついタイ式三礼をしようとして、途中で止めたり、合掌を額の上まで上げたりしてしまう。やっぱり私って変?

それにしても口笛のような音を体から出す女性は、強い印象を残した。笛を吹いているのかと思ったら、そうではなくって、笛のような不思議な音を口から発していた。住職は、これが大好きらしく「いつもながら感動しました。彼女の後ろにはカミがついているとしか思えないほど、すばらしい音です」と感動しきり。

僧侶が、カミも神もないだろう、と思うのは、タイ仏教に頭を侵された私だからか。日本宗教の複雑さもよくわからないが、特に仏教文化としてのうたや芸術なんかもよくわからない。多様だなあとは思うけど。

伊勢音頭なんかは、タイで言えば、スーン・バンファイにあたるのだろうか。日本のように、口誦文化がすでに廃れ、口誦文化の担い手が一度消滅してから、テープや文献で改めて復活させた、このような音文化は、はっきり言って退屈。かろうじて、口誦文化が残っている東北タイでみられる、仏教寺院で奉納されるうたや民謡の方が楽しい。とぎれず継承されることの難しさと重要性を、再認識した次第。

同じく、「叡尊さま」の紙芝居も退屈だった。叡尊さまの生涯について語り聞かせるだけ。笑いをとるところもなければ、お涙ちょうだいというところもない。日本史の知識が全くと言っていいほどない私は、初めて「叡尊さま」を知ったという点ではありがたかった。

「叡尊さま」叡尊さんは、13世紀の高僧。西大寺を中心に活動したそうな。ライ病患者のための施設を作ったり、刑務所(昔そんなのあったっけ?)の人々に風呂を振る舞ったりといった慈善事業を行ったことで有名らしい。それとともに、蒙古襲来のとき、「東から風が吹き、敵を蹴散らせ。でも人の命は失うな」ということを、経にもりこんだということで有名なのだそうだ。住職は、「もっと人々によって見直されるべき僧侶だ」と言う。あまり有名でないのは、明治以降、政治的な問題で、叡尊さんを取り上げることを政府や各宗派が躊躇して、故意に評価を低くしたとか。僧侶のお経で神風が吹いたんじゃ、当然、国際政治問題になるわなあ。

叡尊さんの紙芝居をした人々は、叡尊さんのミュージカルもする計画があるそうで、寄付を募っていた。でも紙芝居がおもしろくないから、その乗りでミュージカルを作ったんじゃ、受けないよ、絶対。

仏教に関係する行事には、様々な「訳あり」の人々が来るけど、その話はまた別の機会に。マリコ
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by chachamylove2003 | 2006-06-03 20:33 | 大阪