<   2005年 10月 ( 3 )   > この月の画像一覧

東北タイにおける婚姻届


農村にいると、必ず聞かれるのは、「結婚しているのか?」ということ。未婚だと答えると、「それはいけない。人は家族を持ってこそ一人前。年とったとき、誰が面倒を見てくれるんだ?」と言われる。

「いや、日本では年寄りの一人暮らしは多いよ。子供も仕事や生活の違いで、同居できないことが多いし」と答えると、みんなびっくりする。

ここで皆が質問する結婚というのは、社会的にオープンな結婚式をして、多くの人に認めてもらい、同居して子供を作って、年老いた親の面倒を見るための結婚。理想であり、誰もが行うと期待される人生設計。

でもよくきくと、結婚式をしても婚姻届を役所に出さない。結婚したばかりの夫婦に聞いた。「婚姻届は出した?」「いーや、まだだよ」「どうして?」「まだその必要はない」

どういう必要性?

子供が生まれたので、また聞いた。「婚姻届は出した?」「いーや、まだだよ」「どうして?」「まだその必要はない」

二人目の子供が生まれたので、また聞いた。「婚姻届は出した?」「いーや、まだだよ」「どうして?」「まだその必要はない。だっていつ別れるかわかんないじゃない」

20代の若い二人は、まだ親から完全に独立したわけではない。出稼ぎに行って、一生懸命金をため、そのお金で土地を買ってこそ、完全に経済的に親から自立することができる。それまでは、耕作する土地も妻方の両親のものを使用し、出産のたびに妻は親の世話になっている。女性は、結婚後自分の親と同居するか、親の家のそばに家屋を建てて住むことが多い。そして親の土地も娘に分けられる。もちろん息子も相続に預かるのだが、相続分を現金や家畜などの動産にしてもらうことが多い。それを元に、結婚後相手方の実家で土地を買う足しにするのだ。

婚姻届を出してしまうと、結婚後築いた財産は共有である。つまり別れるとき、半々に分けなければならない。でも土地は妻の両親からもらいうけたもの。それを婿に取られることになる。だから結婚後も、財産や家計は夫婦で別である。必要な家族の出費があるときは、お互いの財布の中から、出せる人が出せるだけ出す。結構シビアなのだ。

しかし相続問題は、老親にとって頭が痛い問題だ。死ぬ前に贈与してしまわないと、残された子供たちの間でもめることになる。だから最近は、死を意識し始めた年寄りたちは、生前に土地などを子供たちに贈与し、一部を自分の分として残し、老後の面倒を見てくれた同居する娘に与えることを子供たちに承諾させる。

婚姻届も出さず、生前贈与もしないまま父親が亡くなってしまった場合、彼が稼いで買った土地などは子供のものとならず、他の親戚のものとなってしまう。そのため年を取ってから婚姻届を出す人が多い。

その他に、夫が農協などから金を事業資金を借りたい場合、妻の土地を担保にして金を借りるのだが、赤の他人の土地は担保とならないため、そのときも婚姻届を出す。

婚姻届を出す必要とは、こういうことを言うのだった。もちろん夫がばりばり稼いでいる場合、妻はすぐに婚姻届を出す。妻の方が事業や土地を持ち、夫が何も持たない場合、婚姻届を出すのは遅くなるようだ。

婚姻届を出すと、妻の苗字は夫の苗字となる。婚姻届を出している世帯はほとんどないので、一つの世帯に異なる苗字の人が混じることになる。子供がお父さんの苗字と違うことを悩む人は、タイにはいない。

いいクニなんじゃない?マリコ
[PR]

by chachamylove2003 | 2005-10-30 03:27 | 東北タイ

タイの僧侶とインタビュー

タイで僧侶にインタビューすることが多い。研究のテーマが宗教がらみだからしかたないのだけれど、何度やっても好きにはなれない。

227の具戒足を遵守する僧侶にとって、女性に直接触れることは厳禁なのは理解しているつもり。だから対面する時も距離を離し、直接触れるようなことはもちろんしない。服装だってちゃんとしているつもりだ。タイ人ではないけれど、日本人としては最高の作法を持って応対しているつもり。なのに、僧侶は私と喋るのが嫌なようだ。

特に年配の僧侶は、私と視点を合わそうともしない。そしてこちらの質問とは違うことばかりを答え、果ては逃げていく。最初は、私のタイ語が理解できないのでウンザリしてしまったのかなと思い、後を追いかけて何度もわかりやすく質問しようと心がけたが、それでも逃げられる。

心の中で、どうしても「僧侶も同じ人間じゃないか」という気持ちが強いために、逃げられると悔しくてならない。

でも有名な高僧の自伝に目を通してみると、女性の視線、姿は修行の最大の妨げになるようで、僧侶は皆それに苦しんでいるようだ。

ある僧侶は、一目見た女性の姿が目に焼き付き、体内の欲望に火がついてしまって、一人籠もって読経に励んでも、人気のない森の寺で瞑想修行に励んでも、その欲望を押さえることができなくて還俗してしまった。

また別の僧侶は、読経の仕方を俗人女性に教えているとき、ふと手を伸ばした拍子に女性の体に触れてしまい、それをきっかけに、やはり還俗してしまった。

「話すときは、人の目を見て話しなさい」と学校で習ったのだが、これは僧侶との会話には利用できない。私が僧侶の目を見て、一生懸命そのコトバを聞き取ろうと努力すればするほど、相手は居心地の悪い思いをするのだ。

困った私は、運転手の年配男性に同席を頼んだ。すると僧侶は機嫌良く喋る喋る・・・。もちろんその男性に対して。だから彼に代わりにインタビューしてもらい、私はその横で一生懸命メモを取るようにすると、僧侶の個人的な話から何から、いろいろな話をしてくれるようになった。

ただしその男性は、ある僧侶に気に入られ、体を触られ続け、ほとんどセクハラ状態になってしまったのだが。

男性にとっての性的欲望は、悪魔のように体に巣くい、神経まで破壊する。長年の修行の成果も一瞬の迷いによって、泡と消え去る。

でもねえ、女性の方に責任があるんじゃなくって、やっぱりそれって男性の問題なんだから、避けるだけではなく、もっと修行して心を鍛えなさいと言いたい。ただの愚痴なんだけどね。マリコ
[PR]

by chachamylove2003 | 2005-10-24 13:58 | タイ諸々

タイの映画2・Tropical Malady

Tropical Malady (Sat pralat 不思議な動物?怪獣?) アピチャーティポン・ヴィーラセータクン監督

話題の若手タイ人監督の作品。

第一部、兵士が同僚の遺体とともに記念撮影するところから話が始まる。
いや、ストーリーなんてあるのだろうか。
ただただ「日常」が描かれているのだ。
ある地方の田舎を背景に、淡々と、坦々とカメラは回り続ける。
マイクだってないに等しい。
バックの騒音がそのまま流れ、登場する俳優の声さえよく聞こえない。
インターネットゲームも、登場人物がゲイであることも、石が金銀に変わった不思議な話をしてくれるおばさんも、犬が癌であることも、すべてがすべて非常に「日常的」なのだ。

正直、一回目は途中で寝てしまった。
2回目、その「日常性」に圧倒されてしまった。

私のタイでの経験もすべてこのような非日常的な「日常」の中に埋没していた。

第二部は、トラの魂が森に入ってきた人をだますという話。
兵士が森の中を彷徨い歩く。
第一部の最初にも出てきた全裸の男。彼は誰?
サルが告げる「あいつは、トラの霊。お前が殺さなければ、お前が殺される」
最後はトラと対面。
トラの霊が兵士に・・・?

わからん。
一部とは対照的に、非日常的な森の中。
動物の魂が漂う世界。
兵士=猟人、あなたは誰?

あーーーん、わっからーーーん映画だった。
マリコ
[PR]

by chachamylove2003 | 2005-10-10 00:05 | タイ映画