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タイ映画: Ai Fak(Judgement 裁き)

タイ映画のVCDをたくさん買ってきてしまった。古い映画なら20バーツの安さで売っていたのだから、ついつい、、、、。
ついでだから感想文などを書いていこうと思います。

Ai Fak(Judgement 裁き);Phantham Thongsang監督

タイでは有名な社会派の作家であるチャートのKham phiphaksa(裁き)を元に作った映画。

主人公はAi Fak(ビミョーな名前)。貧しくとも敬虔な仏教徒である青年。田舎の小学校の用務員として働く父と二人暮らし。10代のとき、見習僧として出家したが、年老いた父の仕事を手伝うため、還俗する。その後、徴兵され、兵役を終えて帰ってきたところから問題が始まる。
帰ってくると、父は若い娘と同居していた。彼女は所謂「きちがい」。自分が誰でどこから来たのかもわからない。若い娘との同居に戸惑いながらも、彼は父と一緒に用務員として働くようになるが、すぐに父は他界。村中は、父の嫁さんを自分のものにした「不道徳な奴」として、Ai Fakを忌み嫌うようになる。

生来善人であるAi Fakは、気が狂い、一人では生活できない彼女のことが心配で、同居を続けているだけなのだが、村人たちに何度説明しても理解してもらえない。その上、彼女の行動は村人たちにとって不謹慎この上ない。怒り狂った村人たちは、Ai Fakの父の葬式に誰一人参加しなかった。

Ai Fakは、悩む。「どうして?僕と父がいったい何をしたっていうの?」

そして酒浸りになってしまった彼を、ますます村人たちは村八分にするようになった。お坊さんでさえ、彼を無視し、尊敬していた校長先生には、預けていたお金を猫ばばされ、人々に袋だたきにされる。
ぼろぼろになったAi Fakに、昔の青年の面影はもうなかった。

小説の中では、最後に貧しさと偏見の中でAi Fakは死んでいったと記憶するが、映画の中では、気が狂った彼女が彼を支え歩いていくシーンで終わる。

小説を読んだときは、結局貧しき者に救いはないのか!!!と、タイのエリートが書く社会派小説に怒ったのだが、この映画の唯一の救いは、気が狂った彼女の美しさ、セクシーさと、彼女とAi Fakの愛の物語に仕上げたところだろう。

気が狂いながらも、彼女はAi Fakのことを理解しようと努力し、懸命について行こうとする。Ai Fakも、彼女のその純粋な気持ちに打たれて、精神病院に送る気になれない。二人とも社会から阻害され、周縁に押しやられた存在。映像の美しさに誤魔化されてしまい、映画としていい映画だと思うのだが、やっぱり悲しくなってしまう。

人間や社会の闇を描く、このような社会派作家は70年代後半から続々と出てきたのだが、パターンは同じ。農村、貧困、学歴なし、権力なし、努力しても無駄、宗教でさえ救済できない。そんな登場人物がその頃の小説に数多く描かれていた。

もちろん今のタイにおける映画や小説の役割は、かつてとかなり異なる。この映画のように、小説とは異なる視点から描くことも可能だ。そして私は、そんな少しの希望が見える方に期待したいのだ。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-09-22 14:36 | タイ映画

仏教寺院の無料バイキング

2005年8月。またタイに1ヶ月ほどいた。ほとんど東北タイにいて、役人や僧侶に話をきいてまわっていた。宗教関係の調査であるため、どうしても僧侶を訪ねて寺へ行くことが多い。

振り返ってみれば、これまで農村調査していたときも、毎日寺に一度は足を向けていた。村落社会の長老たちが集まる場であり、私にとっては都合のよい情報収集の場であった。朝一番に僧侶への食事の布施のために寺院に行き、そこで集まる人々が話す噂話に耳を傾け、村で今どんな問題が持ち上がっているのかを知り、またたまに村へ「里帰り」するときも朝、寺に行けば、一度に多くの人に久しぶりのご挨拶をすることができた。

寺院は、今なお多くの社会的機能を持っている。

仏教行事だけでなく、選挙の場としても利用される。また家でその日の米にも困るような貧困層にとっては、無料で子供に食事を与える場でもあった。

私はいつも、僧侶が朝の食事をしている最中、村人と喋り、そのまま僧侶の残り物を食べていた。僧侶の残り物を食べることもまた、功徳獲得につながるとされるのだが、大きな行事以外の時に残り物を食べることは、村人にとってある種の恥ずかしさを伴うことのようだった。そして何人かの子供と一緒に食することもあった。村人が私を食に誘うことは、その後の皿の片づけを託す意味もあったが、私にとって残り物を食べることも、皿洗いをすることも、なんら恥じらいを伴うことではなかった。

世帯調査や移動しながら調査をしていると、昼ごはんを食べ損ねることがよくあるのだが、私の場合午前11時ぐらいになると、自分のいる位置と寺の距離を頭の中で自動的に計算する習慣がいつのまにか身についた。そして「今なら午前中の食事に間に合う」となると、あわてて寺へ行くのだ。そしてそこで早いお昼ご飯となる。お坊さんは気にしない。なんせ自分が食べた残りなのだから。例えその寺院にこれまで行ったことがなかったとしても、気にしない。「タイの仏教の慣習を学びに来た日本人です」と自己紹介すれば、どこででも受け入れられた。

私にとっては、あちこちに無料のバイキングが設置されているようなもの。
タイに仏教寺院がなければ、今の私は存在しない。すでに飢え死にしていただろう(本当だよ!!)。

今回は町に近い比較的大きな寺院をいくつか訪ねた。

たまたま仏教行事が催されており、境内では無料で食事を振舞うブースがいくつも出ていた。食事を僧侶に振舞うことも、他の人に振舞うこともたくさんの功徳を獲得することができる。だから町の人々が競うように、屋台を出して食事を提供しているのだ。中には町でレストランやパン屋を開いている人々も、参加していた。だから料理の質もよい。こちらの屋台は中華料理、あちらはラーメン、そっちはパンやお菓子、それこそ様々なブースが並ぶ。

これじゃあ、本当にホテルのバイキングじゃないか。それも無料!

でも一言聞いてみた。

わざわざ寺に来て食事を無料で振舞わなくても、自分の店で月に一度、または年に一度、無料で振舞えばいいんじゃないかと。

そうすると周りのタイ人はみんな笑った。「いくら無料で配っても、寺を介さないと、功徳が積めないんだよ」

功徳獲得に貪欲な人々。そして私のような欲にまみれた人間が、毎日のように無料バイキングに接していて自制できるわけがない。食べ過ぎるまで食べ、太ってタイから帰ってくる。毎回。

貧しい小さな村の寺院でさえ、村人たちは自分がまかなえる一番いいおかずを寺に持っていくため、僧侶の食事は充実していた。だから私も寺で食べるのが好きなのだが。これほどまでに寺院での食事が豊かになったのは、近年の傾向である。昔話の中で、古老たちは若い頃出家していたとき、食べる物がなくて、境内に野菜を植えて補っていたという。

そんな時代が懐かしくなるほど、今の寺院はモノで溢れている。そして私は調査に行くたびに太って帰ってくることになるのだ。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-09-13 15:08 | 東北タイ

僧侶の心・チャーイチャーイ

男性の出家が習慣化し、会社で働いていても3ヶ月間の出家のための有給休暇が認められるようなタイで、僧侶になるということには様々な社会的意味づけが考えられるが、出家できない女性である私としては、227の戒の重要性があまり理解できないでいる。

一番重要な戒は、殺生をするなということだが、俗人であっても動物を扱う人以外で生き物を殺すことを進んでする人はいない。蚊やハエを殺すことがあるが、それもちゃんと網戸がついたところに住めば問題ない。うそをつくことや盗むことを禁ずる戒にしても同様に、俗世界においても法で裁かれるべき行為である。

俗人が遵守するのに難しい戒と言えば、女性との接触と昼からの食事を禁止する戒だろう。若い人にとって、女性との接触を禁止されればつらいだろうが、中年以降床を共にしないセックスレス夫婦が増えている日本から見れば、発想を変えればやっていけそうだ。

昼からの食事の禁止にしても、午前中はどれだけ多くの量を食べても問題はなく、日常的にプチ断食をしているようなもんで、慣れれば体によさそうだ。事細かに行為を規定する多くの戒律も、慣れれば決して悪くない生活が送れる。労働してはいけないのだから、好きなだけ本を読めるし、旅行も俗人より交通費が安い。そのせいか結構なまくら坊主もいる。なまくら坊主の例を上げ始めたら切がないが、ここで言いたいのはそんな生活をする僧侶の心が読めないということなのだ。

つい昨日までそこいらの普通の若者が、得度式を経たとたんに僧侶となり、遠い存在となってしまう。儀礼的にだけではなく、内面まで。そんな感じがずっとしている。

ここによく登場するソムバットおばさんには息子がいた。そもそも彼女が事故にあったのは、息子が得度した次の日だった。彼女は頭を打ち、病院で生死の狭間をさまよっているとき、村中の人々が人生の無常さに恐れおののき、毎日彼女の噂ばかりが飛び交っていた。そして村人が列をなして病院へ見舞いに向かっているさなか、僧侶へ食事を寄進するとき、僧侶となった彼女の息子に年配女性の一人が聞いた。

「お母さんが事故にあって、どう感じているのか?」
「チャーイ(別に)」

その答えを聞いた年配者たちは、少し微笑みながら、それはいいことだ、僧侶はそうでなくっちゃと褒めちぎっていた。

その場に居合わせた私には、不思議な会話だった。

自分の親が生死をさまよっているのに、まるで関係ないっていうような答えはないだろう。
「チャーイ」って何だ?

喜怒哀楽の情を示さないことは、日常的にもよいことだとされる。僧侶の場合、特に平常心が求められる。修行や戒律はすべて、平常心を保つためにあるといっても言いすぎではない。

しかし、しかし、、、だ。名目と内実は違うものだろう。僧侶となることは、俗世界のことをすべて捨てること。特に家族との縁を切ることである。社会的に縁を切り、僧院で自立して生きていると言っても、心までそうそう縁を切ることができるのだろうか。

僧侶となることを老後のために取っておくと言う出家したことがない、ある友達もまた、親に対して「僧侶となるからには、親の面倒は見ないし、貧しくとも生活の援助はしないよ」と宣言した若い僧侶を絶賛していた。

「さすがだ。偉い。僕なんか今僧侶となっても、親が食うにも困っているのを見たら絶対助けてしまう。やっぱり出家は無理だ、悪行になってしまう」

こういう発言もまた私を困らせる。タイのような上座仏教世界では、非日常と日常が、「日常的に」交差している。究極の精神的存在である修行僧が、酒や欲にまみれた俗世界のど真ん中に居住しているのだ。

そんなソムバットおばさんの息子も3ヶ月後、還俗し台湾へ出稼ぎに行き、しっかりお金を稼いで両親に送った。急に親孝行になるのも、私には理解しがたい。

あまりに仏教イデオロギーが強すぎて、日常生活が宗教的価値観に絡め取られているように見える。それでも、いや、それだからか、普通の人々の日常生活は永遠に続く。さまざまな喜び、悲しみ、怒りを伴いながら。

やっぱ、女に生まれてよかったのかもしれない。そんな僧侶にはなりたくない。私が行きたいのは、欲望や悲しみに満ちた俗世界だ。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-09-11 02:00 | 東北タイ

となりの村の台湾人


台湾人娘婿の話の続き。

60代半ばぐらいの台湾人男性は、タイ語が話せない。若いタイ人の奥さんとは、少しの中国語とほんの少しの英語で会話していた。でも私が日本人だということを知ると、日本語で話し始めた。かなり流暢である。

工場のマネージャーをしていたとき、そこで働く彼女と知り合ったという。すでに定年していたので、彼女とともにタイにやってきた。しかし婚姻届を出すと、タイ人女性が土地を買えなくなるので(これはもう法律が変わった)出していないし、台湾にいる妻とも離婚していないと言う。

確かにこの年齢だから、家族がいて当然。台湾にいる家族のことを聞くと、「もう子供も大学卒業して働いている。私はもう必要ない」。そのとき寂しそうな表情を浮かべた。どうゆう事情があるのかわからないし、それ以上語らない彼に無理強いして聞く気はない。年金を受け取るために一年に一度は台湾に帰らなければならないという彼は、周りを走り回る妻の連れ子たちのはしゃぐ声に眉をひそめた。

「*□#○$*」

中国語だろうか、誰にも理解できない言葉を大きな声で発した。子供たちはびっくりして目を丸くしている。たぶんうるさいから静かにしなさいということを言ったのだろう。そして子供たちが汚した床を掃除し始めた。どうも清潔好きのようだ。外に出て遊べという動作をしたので、子供たちは外に出て行った。

私と彼が日本語で会話をしているのを見て、彼の妻が寄ってきた。それまで私と顔を合わせるのが嫌そうで、忙しそうに家の内外をうろうろしていたのだが。

「何語で喋ってるの?」
「日本語だよ」
「へーーー」

柔らかい表情で彼女は彼に中国語で話し始めた。彼も柔らかい表情をしている。
タイ語が話せないために村で妻以外の人と喋ることはないのだが、台湾から来た年老いた娘婿は村で評判がいい。

「彼は善人だよ。家族の借金を全部払ってくれた。彼女がレストランを出したいと言えば、店舗を探しに行くし、土地がほしいと言えば買ってくれる。出稼ぎに行っても、全然稼いでこない弟のために、数頭の牛を買ってあげた。でも彼女の方は何がしたいのかわからない。最初はレストラン、次はギフトショップ、みやげ物屋など、やりたい商売の内容も場所も東北タイから北部地方までバラバラ。それでも彼女がチャンマイで店を持ちたいといえば、二人で車でチャンマイまで行って店舗を探しているよ。本当によくできた娘婿を持った母親は幸運だ」

「でもここの食事が食べられないみたいで、町に行って高価な食事をしなければならないみたい。いつも大きな町のホテルに泊まって、この村に来ることはほとんどないよ」

その後、私も彼に直接会うことはなかった。たまに見かけても、買うつもりの土地を見に行くため車を走らせている姿だけだった。確かにいくつかの土地は買ったが、何かに利用する様子は見られず、いつも家にいる年老いた母親が、「二人は***に行った、###に行った」というだけ。

働き者の台湾から来た婿は、何か商売をしたいようだが、なかなか具体的な話にならないので、3ヵ月ごとに台湾に帰っていた。今、何をして暮らしているのかわからないけれど、年を取ってから言葉の通じない国に来て、新しい生活を始めるのは、彼に限らず大変。

最近日本でも定年退職後、タイで余生を送ろうとする人が増えてきている。バンコクのように何でも手に入る都会ならまだしも、田舎で何をするのだろうか。それほどまでに、故郷は居づらいものなのだろうか。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-09-10 22:41 | 東北タイ

外国帰り

私が長期滞在したタイの地方からは多くの人が海外に出稼ぎに行っている。

90年代以降の社会現象だが、男も女も最近ではまとまった現金収入を求めて海外に出ることが珍しいことではなくなりつつある。海外出稼ぎにはいろいろな問題もあるけれど、かつて新しいチャンスを求めて、移住を繰り返してきた祖先たちの姿を継承しているようにも見える。

男の出稼ぎは、工場や建築現場での単純労働がほとんどだが、女の場合はそれこそ多様だ。工場、レストラン、ナイトクラブ、メイドなどなど、その職種によって全く収入が違う。もちろん非合法の売春が絡めば、だまされるリスクも大きいが、まとまった金になることも確かだ。しかし売春なんて誰もやりたいとは思わないし、誰もそれが喜ばしい仕事だとは思わない。本人とその送金を待つ家族との間の意識の違いやタイの農村社会における価値観からの逸脱など、多くの問題を抱えながらも学歴も資金もない彼女たちが体一つで稼ぐ勇気の偉大さは、たぶん本人にしかわからない価値があるのだと思う。

出稼ぎ者を送り出す側の家族にとって、彼女たちが何をして稼ぐのかを問うよりも、どれだけ稼げるのかが問題であって、まさにそのことによって彼らの社会的地位が左右される。

お金に色などついていないのだ。

だから村にいて、出稼ぎ者からの送金に頼っている人々に収入のことや、出稼ぎ先の状況などを聞くことは非常に難しいし、どれだけ彼らが知っているのか、またどれだけ本当のことを話しているのか、私に確かめるすべはない。また確かめようとして、出稼ぎ先に行って、逆に問題になってしまうこともある。村々を回って日用品を売る、いわゆる押し売りの一人が、人々を引き付けるために、自分は日本で働いてきたと自慢げに話している輪の中に入ったことがあるが、私が日本人であることを知った彼は、あわてて荷物をまとめて逃げてしまった。いろいろ人に言いたくないことはあるもんだ。

微妙な質問であると知りつつ、つい聞いてしまうのは私の調査者としての義務からなのか、それともワイドショー的な好奇心がそうさせるのか、自分でもわからない。

私が普段滞在する村の隣の村の家を一軒一軒まわって、家族構成や収入などを聞いていたときのこと。新築のコンクリートときれいなタイル(一部は大理石?)でできた家があった。家の前にはぴかぴかの4WD。髪の毛を振り乱してソムタム(パパイヤサラダ)を食べている老婆が一人いたので、いつものように寄っていって話をしようとした。自己紹介がすみ、新築の家の話になり、これは娘が台湾で結婚した台湾人男性がお金を出して建ててくれたということを知った。
家の中にはその台湾人の男性。年の頃は60代半ば。それに対して女性の方は30に届くかどうか。子供たちが走り回っている。

「この子供は誰の子?」と老婆に聞く。

娘の前のだんなとの子供だという。娘は一度近所の男性と結婚していたが、出稼ぎに行っても全く金を入れなかったため、愛想をつかせて離婚した。そして家には莫大な借金があり、出稼ぎで一攫千金を狙わなければ、一家が路頭に迷うところまで来ていたという。

「新しい土地を求めて森を開墾したり、夫婦でいろいろ苦労してきたのに、働けど働けど、借金が増えるばかり。娘婿が稼いでくれるかと期待したのに、全く役に立たなかった」
どのようにして娘が台湾に出稼ぎに行き、現在の夫と出会ったのかを聞いた。すると、一気に老婆は語調を強くして喋り始めた。

「借金が膨れ上がって、もうどうしようもなくなったとき、娘に言ったんだ。『もうだめだ。この家を助けるために、お前は何もしないのか。何でも売れるもんを売って何が悪い。***(女性の性器)だって、何だって売って何が悪いんだ!』そうすると娘は『わかった、母さん。私に任して』と言って、台湾の工場で働くことを決めたんだ」

急に彼女の語調が荒くなったことに私は驚いた。

「金がなかったとき、村人たちは冷たかった。誰も助けてくれようとしなかったくせに、今は金があるからって、態度を変えてちやほやするんだ。逆にこっちにお金を貸してくれとまで頼みに来る。私が借金を頼んでも貸してくれなかったくせに」

「この台湾人はいい人だよ。家も建ててくれた。車も買ってくれた。そして息子には牛を買ってくれた。娘と近くの町でレストランをするつもりで、今物件を探しているところなんだよ。借金も全部返してくれたし、私の病院の治療費も出してくれる。言うことないよ」

しかしすでに夫を亡くした彼女は孤独に見えた。家の隣近所の人に、同じような世帯調査をしたとき、みんな、台湾人の娘婿を持つ彼女の話をしていた。「あれだけお金があるくせに、まだ社会福祉を受けている。福祉の役人には、何も見えてない。あんな家に住んで、あんなに金を持っているのに、どうして福祉を打ち切らないんだ」

急に金持ちになった老婆には、友と呼べる人も信頼できる隣人もいない。体調が悪かった彼女は、その後入院し手術を経て、また家に戻ったが、やはり元気がなかった。でも目だけはいつもギラギラさせて、人を寄せ付けようとしない。なぜだか、彼女の怒りに満ちた目が怖くて、それ以上私は訊くことができなかった。人間の表裏を見た彼女に、どんな言葉も宙に浮くようだった。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-09-10 22:37 | 東北タイ