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障害をもって生まれてくること

東北タイを回り、神話や昔話をよく知る地元の知識人を捜すなかで出会った一人のおじいさんは、昔の地方貴族の末裔であり、霊媒だった。私は彼に、天上界とはどんなものなのか聞いた。

タイ系民族の神話に、天上界に住むピーファー・ピーテーンと呼ばれる精霊が私たち生物やこの世の世界を作ったという話がある。

「天上界には、ピーファー・ピーテーンが生まれ変わらせてくれるのを待っているクワン(人の魂)がたくさんいるんだよ。ピーファー・ピーテーンは、クワンを取り上げ、人間の鋳型(私のイメージでは、たい焼き器のようなもの)につっこみ、ポコンと人間の形に作って、それを下界へ送るんだ」

そこで聞いてみた。「ならばどうして障害を持って生まれてくる人もいるの?」

おじいさんは、にこっと笑いながら答えた。

「クワンの中には、生まれ変わりを待つために長い行列の中で待つのを嫌がる者もいて、その中で賢い奴は、ピーファー・ピーテーンの目を盗んで、鋳型に入ることなく、下界にこそっと降りて来て女の人の腹に入ることもあるんだ。だから人の形をしていないこともある」

<なるほど>何となく心が温かくなる話だった。特にその前、僧侶の説教を聞いた後では。

村にいると、ときにバンコクから若い僧侶が、小学校の先生に呼ばれてくることがある。小学生のための道徳教育の一環として、僧侶が仏教の話をしにくるのだ。そのときは、業の話をしていた。

「前世において、レイプし殺人を犯した者は、現世で盲目として生まれてくる」

自業自得、現在の状態は過去の行いの結果であり、現在の行いの結果が未来に反映されるという仏教原理ではあるが、僧侶の語調の強さはなぜだろうか。私の頭では、前世においてレイプした者は、現世でレイプされる、前世において殺人を犯した者は、現世で人に殺されるというのなら、まだ納得できるのだが、どうして現世で盲目の者は、前世でレイプ、殺人を犯したということになるのだ!ましてや、これが小学生に対する教育の一環だという。

僧侶の意図するところは、来世でよりよい生まれ変わりを求めるためには、現世において善行を重ねましょうということであり、あらゆる状態は長い目で見れば、自分の行いによって変えることができるという積極的運命論でもある。もちろん現世において盲目であっても、今よいことを行えば、来世において健常者として生まれ変わることができる。

それにしても、それにしてもね、、、、。

やっぱり仏教より、精霊の方がいいや。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-06-28 11:06 | 東北タイ

記憶のかなたー音の世界

テレビでMusic Therapyのドキュメントを見た。認知症の老人が、すべての記憶を失おうとしているとき、音楽によって、その音楽に付随した記憶が蘇るというものだった。アメリカ南部出身の彼女の場合、それが教会の聖歌隊で歌った歌だった。自分の家族のことや、自分自身のことでさえ、思い出せなくなっても、聖歌とともに教会で歌ったときの喜び、高揚感、自信などが蘇り、彼女の目は認知症であるにもかかわらず、そのとき黒い輝きがともった。

それと同じようなことを、東北タイ農村で見たことがある。この場合は、お経だった。

ソムバット叔母さんは、50代前半。いろんな活動に活発に参加し、人の前に立って喋るような派手なことが好きな人だ。息子が出家するときは、それこそ郡のお役人まで招いて大きな祝宴を、自宅前の広場で催した。自慢の息子が出家し、派手に宴会を行い、彼女は満足げだった。そして数日後、事故が起こった。

僧侶となった息子のためにと、マンゴをたくさん入れた大きな袋を抱え、夫が運転するバイクの後ろに座っていたソムバットは、疲れもあってバイクから落ち、コンクリートに頭をひどくぶつけてしまった。夫はあわてて彼女を病院に運んだが、意識不明の重体。

私も病院に行き、しばらく介護していたが、脳内出血による脳圧迫、脳挫傷もあるのではないかと思うほど、危篤状態が続いた。一時はもうだめかと思ったが、奇跡的に彼女は回復したのだった。身体的にはかなりよくなり、自宅にも帰れるようになった。そこからすべては徐々に元通りに戻るかと思いきや、彼女は変なことを言い始めるようになった。自分は天国と地獄に行ってきたとかなんとか。

彼女の話はかなり飛ぶ。新しいことは、長時間覚えていることができないようだ。見舞客に対しても、比較的近い親戚さえ認識できないこともあれば、遠くにいる若い息子の友達のことを覚えていたりする。私も「私はだーれ?」と聞いてみた。「マリコ、日本人のマリコだよ」さすがに日本人ということで、印象が強かったようだ。

でも彼女は何度も同じことを繰り返すようになった。自分が話を繰り返しているということもわからないようだ。だから無理して話を止めようとはしないまま、好きなように喋っているのを、私が添い寝しながら聞くことが多かった。

「どうしちゃったんだろうね。いろんなことを思い出せないんだ。だから人が『私はこうだった、ああだった』というのを聞いて、それを覚えておこうとするんだけど、それも覚えていられない。でもね、これだけは、忘れないのよ」
そう言うと、彼女はお経を朗唱し始めた。

彼女は40代後半から宗教的な場に積極的に参加し始め、お経を詠む場になると、やたら大きい声をあげる。普段の声も大きいけれど。年寄りたちは、彼女の朗経を「きれいじゃないわね」と言うのだが、そんなこと、気にしない。とにかく短期間で多くのお経を覚え、自分なりの節回しで早く朗唱する。

「これは、霊験あらたかなるお経。唱えれば願い事が何でも叶うのよ」
「これは、毒へびに噛まれても死なない経。これは悪い夢を見たときに唱える呪文」

ひとしきり唱え、「私、お経なら覚えているのに、どうして他のことは覚えていないんだろう・・・?」

「ま、いいか」と言いつつ、経が次から次へと口から出てくる。「私、これ(経)があったから、死ななかったんだね」

脳に障害を残してしまった彼女は、もはや普通の仕事はできない。足腰も弱くなり、杖なしではどこにも行けなくなった。下の始末も自分一人ではできなくなった。家族に介護されながら、彼女は経を朗唱する。それ以外、今の彼女にできることはない。経を朗唱するとき、彼女の目は生き生きしている。

「この経も覚えていたよ。これもだ」と楽しそうに朗唱する。

脳の中がどうなっているのか、さっぱりわからない。これから先、治療は進むのだろうか。たぶん医者は見放してしまったのだ。もう婦人会や組合で活発に活動する彼女の姿を見ることはないだろう。でも彼女が幸せそうにしていれば、それでいいかとも思う。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-06-27 01:26 | 東北タイ

マユリの日常ー東北タイ

東北タイの村で長期間滞在しながら調査することの第一の問題点は、暑いことだ。乾期の一番暑いとき、テレビの天気予報でも日中最高温度は40度を超える。実際の体感温度は45度を超えるだろう。空気が乾燥しているので、それほどつらくはないが、昼間外を歩いていると、村人たちに「外を歩くと病気になるから、早く家に入りなさい」と言われる。

だからか、村の中で、昼寝のためのお気に入りスポットをいくつか決めている。一つは、マユリの家。彼女は、いつも自宅の一階で機を織る。そのそばのハンモックで、おしゃべりしながらいつのまにか眠ってしまうのが私のパターン。

彼女は年老いた母と、妹2人と同居する。誰も結婚していないので、男手はない。長女である彼女はすでに40を過ぎている。どうして結婚しないの?という私の問いに、彼女は「誰が私みたいな貧乏人と結婚したがるのよ。きれいでもないし」。

東北タイでは、結婚後夫が妻のもとに婿入りすることが多い。だから妻方の両親や親戚が、大地主であったり、養鶏場を持っていると、婿はそこで働くことができる。男は、体力や知力など個人の能力が優れている者が、夫として求められるのに対して、女はその家族の経済・社会的地位が期待される傾向にある。

マユリの家が所有する土地は少ない。そしてなんら商売をしているわけでもない。日々の糧は、妹たちが田畑で探して取ってきた小魚、野草と、自分たちで作った米だけである。時折、機織りの下請けをして、現金収入がある以外、本当に収入源がない。それでも借金することなく、清楚に生きているという印象を受ける家族だった。

マユリは、足が悪いが働き者だ。日々の糧を取るために、暑い中遠くの山へキノコを採りに行ったり、小さな土地に野菜を植えたりする。今は体の調子もよくないので、妹たちが外へ出ているとき、家で機織りをしながら母の面倒を見ている。

そしてマユリは明るい。いつも冗談を言い、私を笑わせてくれる。ご飯も食べろ、泊まっていけといつも誘われるのだが、私はいつも昼間しか行かない。夜は、犬に噛まれるのが怖いのだ。婦人会の集まりなどにも、マユリは世帯の代表として顔を出す。本当は出たくないので、どうしても行かなければならないときだけしか行かないという。そんな集まりに出ると、マユリは他の女たちがからかう対象になる。既婚の中年女性が集まって話すことは、結局男性と同じように、下ネタとなる。万国、誰でも共有できる話題であるようだ。

女性の避妊方法とその後の副作用についての講習会でも、「ペッサリー入れてみたら?でもあんたは関係ないわね」と言われ、草木染め講習会においても、手作業しながらの話題は夫の話やセックスの話。これもまた「あんた関係ないよね」。そういうとき、未婚女性の私とマユリは、顔を見合わせて黙ってしまうのだ。二人で共有する、この感覚。居づらいという思い。のけ者にされているといういじけた気持ち。

そのせいか、私とマユリは、なんとなく仲がよい。一緒にいても、たいした話をするわけではない。私はハンモックで昼寝。彼女は機織り。話は全くかみ合わないのに、居心地がいい。

時々こうやって調査をさぼりながら過ごす時間は、至福のときである。完全に村の人間関係に巻き込まれてしまった。調査者としては、失格と言えるのだろうけど。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-06-24 12:39 | 東北タイ

バンコクのタクシーの運ちゃん

タイ語がわかることがいいときと、悪いときがある。多くの場合、外国でその国の言葉を知っていれば、ぼられることも、だまされることもないから、いいだろうと言われるのだが、そうとも限らない。

私なんて、そもそも大都会バンコクに住んだことなど一度もない。タイで滞在するのは、いつも田舎町か農村。だからバンコクに出てくると、それこそお上りさん。右も左もわからない。タクシーの運ちゃんにしてみれば、タイ語でコミュニケーションできるし、道は知らないしで、タイ人の田舎者と同じ程度にだましやすい存在ということになる。だからタクシーの運ちゃんとけんかすることが多い。

でもけんかするだけが能じゃない。なんとかタイ人料金で、気持ちよくタクシーに乗るために日々努力している。まず第一に運ちゃんの出身地を聞く。多くの人が東北タイの農村出身者。そういうときは、話が弾む。「私、コンケン大学に行っていた」ということが、話のいいきっかけになる。コンケン大学という地方の国立大学というところがミソのようだ。親戚の誰か一人ぐらい行っていることがあるようで、努力して奨学金などをもらうことができれば、農村出身者でも、決して高値の花ではないという大学だ。それでいて、卒業生は官僚になる人も多くいるため、いい大学というイメージもある。

もし出身が東北タイではなく、中部や南部だった場合、話に困る。話しかけても無言というときも怖いが、往々にしてこちらが日本人だと知ると、「日本人はみな金持ちだ」と言い始めるときはもっと怖い。そしてそれが真夜中、一人で乗ったときなどは、タクシー強盗に殺された日本人観光客の事件を思い出しぞっとしてしまう。覚醒剤でもやっているのか、真夜中に無言ですごいスピードでとばされたときには、祈るしかない。

また話が弾んでしまうのも、困るときがある。冗談に冗談を返して、会話を楽しむぐらいならいいが、その先話が進んで、こちらが独り者だとわかると、即「結婚しよう」というのも困りものだ。「日本とタイで貿易しよう」おいおい、結婚はビザとりのためだけかい?こうなると、話がしつこくなる。これまたどのように断ろうかと思案する。止まって欲しいところで止まってくれず、別のところに連れて行かれそうになるのも、こういうときだ。

口は災いの元。わかっちゃいるけど、いつもタクシーの運ちゃんと喋ってしまう。日本からバンコクの空港に降り立ち、まずタクシーに乗るとき、いつも不安になる。「私はタイ語を忘れてしまったのではないだろうか」と。日本でタイ語なんて、喋ることはほとんどない。そんな不安をタクシーの運ちゃんとの会話は吹き飛ばしてくれる。だからいつも運ちゃんに話しかけてしまうのだ。

「おっちゃん、出身どこ?」マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-06-13 02:36 | タイ諸々

東北タイ農村における、朝の私

「マリコ、マリコ、今朝は寺に行かないのかい?」
と、トンマー母さんが部屋の外から呼びかける。時間は午前6時半ごろだろうか。すでに明るい。あわてて起きて、家の外に飛び出す。
「行く、行く」

それが東北タイ農村での私の一日の始まり。

毎朝、村の女たちが寺へご飯とおかずを持って行く。ここ上座仏教社会では、僧侶は自分の食事を自分で用意することはない。必ず人が寄進したものを食べなければならない。つまり誰も養ってくれる人がいないと、飢え死にしてしまう。それが僧侶であることの最低条件。普段はトンマー母さんが、寺へ餅米とおかずを一品、持って行くのだが、私が居るときは、なぜか私の役目となってしまった。

トンマー母さんが、小さな米びつとおかずが入った皿を用意してくれている。私は小瓶に水を汲む。それらを篭に入れて、いそいそと寺へ向かう。すでに数人の女性たちが、寺へと向かう後ろ姿を追いながら、寺に着き、食事盆を用意し、人々が持ち寄ったおかず類をきれいに盛りつける。これもまた、私がいるときは、私の仕事となってしまった。

食事を僧侶に寄進し、お経を上げてもらい、持ってきた小瓶の水を流しながら、ここで生じた功徳が今は亡き近親者の元へ届くよう祈る。水はいろんなものを象徴的に運んでくれるのだ。「マリコは、マリコの亡くなったお母さんの顔を思い浮かべればいいんだよ」とトンマー母さんが言ってくれるので、私は生きている人も死んでいる人も全部ひっくるめて、多くの親しい人の顔をビデオの早送りのように頭に思い浮かべる。それぞれの人に、功徳が届くんだという。

僧侶の食事が終わるのを待ってする、後かたづけも私の仕事となってしまった。たくさん余った物は、持ち帰り、日持ちするような物は、戸棚に収め、食器を洗う。他の村人は、いい気なもんで、「マリコは、働き者だね。たくさん功徳を積んでいるよ」と言いながら、自分の皿まで私に洗わせようとする。もちろんそんなことで目くじらを立てない。だってここはお寺だもの。人に喜んでもらえるのは、気持ちがいいもんだ。

寺では食事の寄進にやってくる常連さんと仲良くなる。ほとんどは年配男女。特に女性の数が多い。そして最近の村の事件やうわさ話などを喋る場ともなるため、私はいつも聞き耳を立てて人の会話を聞いていた。同じ村に住んでいても、意外に他人事には疎いようで、このような人が集まる場で、「あそこの息子が今度結婚するそうだよ」とか「境内のトイレの修理をしなければならないけど、どうしようか」などなど、いろんな話が飛び出してくる。調査する私のような外部者にとって、人々の生活を知るのに大事な場所である。

でも逆に言うと、私が行かないとき、私が居ない場で、いったい私についてどんなうわさ話をしているのか、興味があるとともに、知るのが怖くもある。だからますます寺に毎日行くようになってしまった。

こういうものは習慣であって、習慣になってしまうと、朝になると寺に行きたくなる。バンコクのような都会に出ても、朝どこの寺に行こうか、どの道を僧侶が托鉢に回るのかをチェックする。この前まで泊めてもらっていたタイ人の友達の下宿は寺の真横。うれしかったが、結局食事の寄進には行かずに、募金箱に少額のお金を入れた。もちろんトンマー母さんを含め村人たちの顔を思い浮かべながら。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-06-04 00:54 | 東北タイ