カテゴリ:大阪( 7 )

久しぶりのカチン

年齢のせいか、このところ怒りに駆られると心臓がバクバクするので、
何があっても怒らず、何事にも冷静に対処する生活をおくってきた。
しかし、今日はさすがに頭にカチンときた。

数か月前、一度会っただけのタイ人女性から突然電話があった。
日本人の夫に殴られ、興奮して泣きじゃくりながら助けてくれと訴えている。
その時は、話を一応聞いてから冷静になって自分と娘の将来のことを考えて・・・と言って電話を切った。
以前から、DVの話は聞かされていた。
夫が子どもの父親としての責任感がある男性ではないことも、接したことがある日本人たちから聞いていた。
その男性に会ったことがある人は誰しも、彼女に離婚を勧めていた。

夜になって、また彼女から電話があった。
また殴られて、殴り合いのけんかになったので、警察を呼んだと。
あわてて、今評判になっているワンストップ型の電話相談を紹介して
そこで対処の方法を聞いてみた方がいいと告げた。
そこには外国語ができる担当者がいるはずだ。

彼女も電話をしたらしい。

しかしその後、なぜか私のところに警察から電話があり
現状を説明され、今回は警察が夫に厳重注意をし、被害届は出さないことで双方が納得したと言われた。
「あれ?そんな話になっていたの?」
私は距離的に遠くて会いにいくことができない。
それに離婚やビザやら、法律的なことはさっぱりわからない。
だから電話相談室に連絡してもらったのに。

今度は、私の方からその相談室に電話をかけた。
「本人からの依頼でしか、こちらは相談を受けない。
彼女にこちらにもう一度電話をするように言ってください。
住所が近い団体の電話番号を教えるので、
彼女がそこに直接電話して相談するようにしてください。
電話する時間帯は午前9時からにしてください」

おいおい、ワンストップサービスって、単に関係諸団体の電話番号を告げるだけの電話サービスか。
私はてっきり、向こうが関係諸団体に本人に代わって連絡してくれるものだと思っていた。
これって、単にたらいまわしって言うのじゃないか。
久しぶりにカチンときた。

タイ人である彼女は、日本語がうまくない。
だから、一生懸命状況を説明しようとしても、なかなか理解してくれる人がいない。
日本の法律も何も理解していない。
そこが問題であるのに・・・。

ふと、認知症の父親の介護をしていた時のことを思い出した。
継母の暴言に耐えながら、父のために文字通り一日24時間、自宅で介護していた。
ヘルパーなどを頼みたくても、継母が反対して、他人を家に入れてくれなかった。
フラフラになりながら、やっと時間を見つけて、保健所に行った。
介護保険制度がなかった頃なので、相談先は保健所しかなかった。
保健師さんが一度来て、一度家の状況を見てくれた。
その後、連絡がないまま、父の葬式の日に保健師さんから
「その後、どうですか?」という電話があった。
「今、葬式の最中なので失礼します」

助けは、必要な時に得られるものではないと悟った。
でもそれではいけないのではないかとも思った。
どういう方向に進めばいいのかわからないとき、
一人ぼっちで、前が全く見えないとき、誰かの助言が必要。
それが公的機関の役割ではないのかと。
問題がある人は、平日の公務員時間に電話をかける時間がない。
私はそうだった。
だからなかなか助けを求めることができなかった。

また夜中に彼女から電話があった。
今度こそ、離婚を決めたと。
先は長いと思う。
DVはなかなかやめられない。
他人が口出すことではないが、
相談窓口が単に電話番号案内サービスであり続けるなら
いつまでも問題は解決しない。

久しぶりにカチンときたので、
友達にそこの相談室の内情を聞いた。
「みんな、予算の取り合いに忙しいので
時間がかかりそうな相談にのりたくないのよ」
お上からの予算で運営されている団体の宿命か。

ああ、またカチンときた。
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by chachamylove2003 | 2012-11-22 01:36 | 大阪

東北・関東大震災

あまりに酷い津波の映像に
ことばもなく、テレビに釘付けの日々。
流される家の一つ一つに、誰かがいて
何千、何万の人々が流された。

平和ボケした政治家も
頭から氷水をかけられたみたいに
青ざめて真剣な顔になった。

それでも亡くなった人は呼び戻せない。
遠くにいる私に今できることは祈ることのみ。
春が近いことを望むのみ。
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合掌、マリコ
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by chachamylove2003 | 2011-03-19 21:56 | 大阪

12年毎のジンクス

12年前、父が死んだ。
その12年前、彼氏が死んだ。
その12年前、前の母が死んだ。
その12年前、私が生まれ、実母は去った。

何かに操られるように12年ごとにドタバタする。それも一番大切な人が亡くなる。
今年はどうなるんだろうと、以前から不安だった。

急に猫が餌を食べなくなったので、昨日動物病院に行った。
触診とレントゲンによって、お腹に何かがあることがわかった。
今日CTをとったら、大きな悪性リンパ腫がいくつもあった。

誰よりも私のわがままに付き合い、耐えてくれた子。
いつも足にまとわりつき、お喋りしてくれた。
もし子供がいたら、こんな感じ。
今は力なく声もほとんどでない。

病気を早期発見できない怠慢な飼い主だった。
ごめんなさい。
私の生活の中で、どれだけ大切な存在だったか。
今にして思う。そして後悔する。

猫の介護に専念します。
こんなこと、小学生が学校を休む理由にさえ、ならないだろうな。
でも残り少ない時間、猫のためにすごします。
誰がなんと言おうが、私にとって大切な存在だから。

チャチャ、おやすみ、マリコ
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by chachamylove2003 | 2008-10-22 23:12 | 大阪

最後の会話

25日に大学に行った。同じ院生室のインドネシア人が聞いた。
「Yって二人いるの?Yが自殺したって聞いたけど、まさかあのY?」
何を言っているのかわからない。Yが自殺?まさかと思った。私が知っているYのはずはないと思い、彼の携帯に電話した。
女の人が出た。お母さんだった。
「Yは?」
「もう帰ってこない人になったのですよ」

それからは、もうドタバタ。
同級生でもあり、家も近かった。小学校の後輩でもあった。

最後の会話を思い出してみる。
23日の午後に会った。すれ違うときにちょっとだけ会話した。
「久しぶり、最近どう?」と聞くと暗い顔で彼は
「あきませんわ。詰まってしまって今年博論出せそうにない」
「そんなんゆうたら、私も同じや」
会話が暗くなるので、話しを変えようと思い
「最近私、毎日桃ヶ池(公園)の周り、走ってんねん」
彼の家のすぐそばの公園である。
すると彼は急に、にやーっと笑って言った。
「最近死体見ました?」
「いいや、最近みてへんわ」

それが最後の会話だった。
何年も前に、近所の公園での自殺の多さを話したことがある。
ホームレスが一番多かった頃は、年に13人も首つりがあった。
特に私は小さい頃、死体に遭遇しそうになったことがある。
朝練のため、池の周りを走っていたことがあり、たまたまさぼった日の夕刊を見ると、その日の朝、入水自殺した遺体が発見されたとあった。もし朝練をさぼらなければ、私が第一発見者となるところだった。
そんな話しを彼は思い出したのだろう。

通夜や葬儀で聞いた話を総合すると、彼は私とそんな会話をした後、近所の店へロープを買いに行って(レシートが残っていた)、その後勉強会に参加し、7時半頃友達と別れて一人になった。
そして閉まっている喫茶店の中に入って首をつったという。

1週間ほど前から調子が悪そうだったという。
でも私との会話は、彼に具体的なアイディアを与えてしまったのかもしれない。
道具を用意し、場所を探し、、、こだわりがあったようだ。
最後まで彼なりの美学を追究する人だった。

ご冥福を。合掌、マリコ。
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by chachamylove2003 | 2006-10-28 01:55 | 大阪

22年前の日記とM君

数日前に書いたことで、何人かの人に心配してもらった。ごめん。私は大丈夫ですよ。
22年の時を経て、やっと自分自身を客体化できるようになった。これだけ時間のかかる人間だから、東北タイの経験を客体化できるまでには、まだまだかかる、、、って、、か?

22年前の日記を読んだ。

元彼の葬式は、てんやわんやで、それはまた別の機会に書くこともあるだろうが、日記の中に何度か出てくるM君。

Mは元彼の高校の時の親友だった。葬式には、間に合わなかったが、その後法事や別の友達の葬式で何度か会い、少し話したことがある。

「あいつのことを覚えている人間が居る限り、あいつは生きている」
「(元彼の死のことは)オレに任せてくれ」

落ち込む私に励ましのつもりだろうか、何度かそう言った。そのとき、私はコトバを発することもできない状態だったが、日記の中では、こう書いている。

「任せろって何を?」

時を経てM君は、作家になった。受賞もしたし、今や立派な「先生」である。
A賞受賞作品は、長い間元彼の仏壇にも添えられていた。彼氏のお母さんにとってみれば、自分の息子が立派になったように感じたのかもしれない。

最初、論壇では賛否両論だった。「こんなもの、文学じゃない!」という声と、「斬新」という声が、半々といったところ。
しかし今や人気が後押しし、エッセイや小説は次々と出版される。
私もできる限り、買おうとするが、出版される量が半端じゃない。買うのが追いつかないほどだ。

M君の本を読めば、彼が何を背負って生きようとしているのかわかるかもしれないと思った。でもいまだにわからない。文学の世界は、私にとって遠すぎるのかもしれない。いつか彼が発するメッセージをその中に読み取れるのかもしれない。でも、いまはまだわからない。
私は同じ場所にとどまったまま。きっと私は、元彼の死を忘れようとしながら、その死の現実を背負うことを避けてきたために、身動きがとれないのかもしれない。

難しいことは、M君に任せようと思う。
考えたってわからない。どうしてこうなってしまったのか。
死者の痛みや悔しさを背負いながら、生きていくことが、自分の人生を生きていくことなのかなと、最近思う。
人は一人で生きていけない。生身の人間の中で生きていかなければならないというだけでなく、多くの死者たちにも支えられて生きている。すべての人は、死に向かって生きているのだ。

東北タイでは、この世で積んだ功徳や思いを、水に託す。その水は大地にしみこみ、地母神が生者の思いを、死者へと運んでくれる。
そして死者の魂は、年に何度か(日本で言えば、お盆)生者の元へ帰ってくる。

あ、そうか、もうすぐお盆だから、こんなことを鬱々考えてしまうのだ。
お盆前に帰ってきてしまった魂もいるみたいだ。
さあ、墓参りに行こう。私がこれから先も生きるためにも、墓参りに行こう。合掌、マリコ。
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by chachamylove2003 | 2006-07-27 00:27 | 大阪

行者まつり

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久しぶりに、ブログを更新する決意。で、一度書いたものが、消えてショック。また書き直すことにする。

今日は、奈良の浄瑠璃寺に行ってきた。毎年行われている行者まつりを見に行った。まつりと言っても、縁日が出るわけでもなく、住職による法要が行われるだけ。去年も、近所の仏師のKさんに誘われ、今年も仏像彫刻教室の生徒さんについて行った。私本人は、彫刻しないけど。

住職さんの法話を聞く前に帰ってきてしまったけど、その代わりと言ってはなんだが、「叡尊さま」の紙芝居と、口笛のような音を奏でる女性のうたの奉納と、伊勢音頭を鑑賞してきた。

日本の寺に行くと、つくづく私の教養のなさを感じる。日本の仏教のことも、日本史についての知識も欠けているため、何が何やらわからない。自分の身の置き所も、作法もわからないままだが、どこに行ってもそれなりに楽しむことができるのが、私の唯一の取り柄。

タイ仏教が私の深部にまで身体化しているためか、仏像の前に座ると、ついタイ式三礼をしようとして、途中で止めたり、合掌を額の上まで上げたりしてしまう。やっぱり私って変?

それにしても口笛のような音を体から出す女性は、強い印象を残した。笛を吹いているのかと思ったら、そうではなくって、笛のような不思議な音を口から発していた。住職は、これが大好きらしく「いつもながら感動しました。彼女の後ろにはカミがついているとしか思えないほど、すばらしい音です」と感動しきり。

僧侶が、カミも神もないだろう、と思うのは、タイ仏教に頭を侵された私だからか。日本宗教の複雑さもよくわからないが、特に仏教文化としてのうたや芸術なんかもよくわからない。多様だなあとは思うけど。

伊勢音頭なんかは、タイで言えば、スーン・バンファイにあたるのだろうか。日本のように、口誦文化がすでに廃れ、口誦文化の担い手が一度消滅してから、テープや文献で改めて復活させた、このような音文化は、はっきり言って退屈。かろうじて、口誦文化が残っている東北タイでみられる、仏教寺院で奉納されるうたや民謡の方が楽しい。とぎれず継承されることの難しさと重要性を、再認識した次第。

同じく、「叡尊さま」の紙芝居も退屈だった。叡尊さまの生涯について語り聞かせるだけ。笑いをとるところもなければ、お涙ちょうだいというところもない。日本史の知識が全くと言っていいほどない私は、初めて「叡尊さま」を知ったという点ではありがたかった。

「叡尊さま」叡尊さんは、13世紀の高僧。西大寺を中心に活動したそうな。ライ病患者のための施設を作ったり、刑務所(昔そんなのあったっけ?)の人々に風呂を振る舞ったりといった慈善事業を行ったことで有名らしい。それとともに、蒙古襲来のとき、「東から風が吹き、敵を蹴散らせ。でも人の命は失うな」ということを、経にもりこんだということで有名なのだそうだ。住職は、「もっと人々によって見直されるべき僧侶だ」と言う。あまり有名でないのは、明治以降、政治的な問題で、叡尊さんを取り上げることを政府や各宗派が躊躇して、故意に評価を低くしたとか。僧侶のお経で神風が吹いたんじゃ、当然、国際政治問題になるわなあ。

叡尊さんの紙芝居をした人々は、叡尊さんのミュージカルもする計画があるそうで、寄付を募っていた。でも紙芝居がおもしろくないから、その乗りでミュージカルを作ったんじゃ、受けないよ、絶対。

仏教に関係する行事には、様々な「訳あり」の人々が来るけど、その話はまた別の機会に。マリコ
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by chachamylove2003 | 2006-06-03 20:33 | 大阪

刺青・続

刺青の話で思い出した。

数年前、8月のお盆の頃、朝早く墓参りに行った帰りに市バスに乗っていた。以外に込んでいたバスの中で、年寄りに席を譲る青年がいた。<若いのに珍しい>と思い、ふと顔を見上げると、高校生の頃知り合った友達だった。声をかけようかなと思ったのだが、つり革を持つ彼の腕を見て躊躇した。

このくそ暑い真夏に、暑苦しそうなスーツ姿。長袖シャツの端から見える腕の模様。<え?まさか!>

彼の祖父も父親も会社を経営している地元の名士。いろんな胡散臭い人たちとのつきあいもあった。彼の母親が、結構地元の賭博場に出入りしているっていううわさ話も聞いたことがある。<まさか、まさか?>と思ううちに、彼は若い女の子とバスを降りていってしまった。

後で昔の知り合いに彼のことを聞いた。一族を束ねていた祖父も父も亡くし、長男である彼が柄にも合わず、またその能力にも見合わない社長職を継いでいたが、結局会社は人手に渡ってしまったらしい。その後の彼は没落の途をたどり、ヤクザのぱしりをして覚醒剤も始めるようになったという。

たまたま同窓会のことで、実家に電話した友達が言うには、彼の母親に「うちの子とどういう関係!」と理不尽に怒鳴られたという。悪い仲間と勘違いされたみたいだ。

高校生の時は、ちょっとあほだけれども、憎めないキャラだったのに、どうして人生って人によって真っ直ぐだったり曲がったりするのだろうか。

なんだか遠い世界に行ってしまったようで、寂しくもあり、むなしくもあり。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-04-08 02:29 | 大阪