カテゴリ:タイ映画( 8 )

タイの歴史アニメ・カーン・クルアイKhan Kluay

カーン・クルアイKhan Kluay
2006年Kantana Animation

毎年恒例のタイフェスティバルが、近所で開催されていたので行った。それで映画を見てきた。ディズニー映画と同じようなタッチの画像だし、監督もアメリカン人だから、よくある子供向きのアニメーションだと思い、期待しないで見たけど、結構よかった。

カーン・クルアイは、子象の名前。強いカーン・クルアイ(バナナの幹)のような子になるようにとつけられた。子象がまだ見ぬお父さん象を探しに行く冒険もの。でもディズニーと違う点は、この映画が最近タイで流行の歴史ナショナリズム物である点。

時代はアユタヤ時代。ビルマ軍との度重なる戦いで、重要な役割を果たすのが象。王を背に乗せ、勇敢に戦う強い象だったカーン・クルアイの父は、戦いですでに亡くなっていた。幼少の頃、ビルマ軍の人質だった、後のナレースワン王は、アユタヤに戻り、カーン・クルアイを自らの象として選ぶ。ビルマとの戦いで、カーン・クルアイは父の敵をとり、ナレースワン王は勝利する。

これまでもBang Rajan(2000)Suriyothai(2001)など、ビルマとの戦争物の映画が大ヒットし、映画の作り方も世界市場を意識した質の高い物が最近続いている。
しかしそれにしてもいつもアユタヤ時代。そしてビルマとの戦争。これがタイの大河ドラマというところ。
現在のバンコク王朝についての映画は作りにくい。「王様と私」のようにラーマ5世を主人公としたものは、タイでは上映禁止されている。歴史的事実と合わず、タイの王朝を侮辱する役作りだというのだ。だからバンコク王朝以降の、王族に関するすべてのもの(書物、研究、映画など)はなかなか出てこない。不敬罪があるため、タイ人にとって扱うのは非常に難しい。ラーマ6世はゲイだ、なんて言ったら捕まってしまう。

今年はラーマ9世在位60周年記念の年。日本からも天皇が祝いの儀に参加した。多くの人びとが、国王への尊敬の念を示そうと、書物、雑誌、記念本、Tシャツなどが数多く販売されているが、ラーマ9世を人間的に書いた、西洋人の手による個人史もタイでは発刊禁止。
だからか、、、ナレースワン王の時代にまでさかのぼる。

ちなみにアニメに出てきたナレースワン王には、いろいろな伝説が語られている。ビルマ軍との戦いの前に、雲が9輪の形をしていた(縁起がいい)とか、毎朝護呪経を唱えて勝利祈願していたから勝利したとか。そして彼が編纂したと言われる護呪経を今も多くの人びとが、自宅や寺院で唱えている。

それにしてもタイの子供は、こういう映画を見て育つのだ。タイの歴史はアユタヤから始まり、ビルマとの戦いで勝利したところから始まる。その頃のビルマとの戦いって、私から見れば、関ヶ原の戦いみたいなもの。小さなクニと小さなクニの争い。

日本の歴史は、いつから始まったと思えばいいのだろうか。日本の歴史のほとんどは、現在の日本国内の争いごとの歴史。朝鮮出兵だけが例外か。北海道も沖縄も、今の領域から見れば、日本国になってしまっているから。

大陸と島国の大きな違いがここにある。
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by chachamylove2003 | 2006-09-18 01:05 | タイ映画

The Remaker คนระลึกชาติ Khon raluk chat

タイ語を打てることを発見したが、さすがにブラインド・タッチはできない。キーボードにタイ文字シールを貼らないと。

Thai film.comのデータベースにもなぜかアクセスできない。
私のマックのせいか。。。

上座仏教世界タイでは、前世の業とか、親の因果が子に報いとか、日常的会話によく出てくる。現代風の映画であっても、この手のテーマは大好き。

chao kam nai wenと呼ばれる者が、誰にでもいるらしい。時空を越えて遺恨を懐く宿敵とでもいうのだろうか。殺した結果、殺され、また殺すという因果応報。そういう悪い循環を断つために、お布施をする。私も,chao kam nai wenに功徳を送りなさいと言われ、お寺に寄付してきたところだ。

主人公の場合は、ちょっと状況が違うが、基本的には悪循環を断つために、人を助けて功徳を積むような善人になっていくという話。
前世の行いが、現世の状態を導き、現世の行いが来世の状態を決める。
この原理は、今でも人びとの生活の基本を支えている。
映画でも繰り返し再生産され続け、見るのはもう飽きた感もあるが、
人に対して良い行いをすることは、自分のためにもなる、
つまり情けは人のためならずってことは、私も忘れずにいたい。

ちなみに、このVCD、バンコクのDVD,VCD屋さんで買った。
他の物を買うときには、タイ人の軽薄で無愛想な店員に腹が立つのに
映画のVCD,DVDを買うときだけは違う。
なぜなら、店員はそこで売られている、ほとんどすべての映画を見ているため、
積極的に勧めてくれるのだ。
「どんな映画?」と聞けば、それなりにあらすじと、セールスポイントを述べてくれる。
これでこそ、商売の基本です。

どうして他の商品じゃ、そこまで研究しないのかねえ。マリコ
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by chachamylove2003 | 2006-08-26 00:23 | タイ映画

北の虎ーイサーンの虎

Phayak nua- sua isan 
主演Sombat Methani

たぶん50年代ぐらいの作品。
最近Thai Foundationのdatabaseにアクセスできないので、製作年を調べることができない。
どうしてだろうか、、、、。

タイ映画50周年と名をうって、たくさん作られたVCDのひとつ。だから50年代だと思うのです。
この頃の特徴って、なんだろ。
西部劇っぽいチープなアクション、CIAばりのスパイ、地方を牛耳るヤクザ組織、主人公はあくまでかっこよく、女にもてて、、、、てなところか。
時代を考えると、納得いくこともある。

チャンマイなんて、えーーこれが?っていうくらい田舎町。スリンなんて、象とバンファイ・ロケット祭りの様子だけ。

注目したのは、ヤクザ(虎)のネットワーク。南部、北部はチャンマイ、東北部はスリン、中部はナコンサワンに、それぞれ基地を持っていて、武器の違法な商売をしている。
スリンに今も有名なヤクザがいることを考えると、やっぱり東北タイの中心はスリンだったのかと勝手に納得。
最初、象を中国に輸出することで、金を手にして、地方の権力者となっていったという話をタイ人から聞いたことがある。そして今や、タクシン政権のよきサポーター。

話が現代に逸れてしまったが、私的に面白いのは、イサーンと名がついてる映画なのに、イサーン語も東北タイもほとんどでてこない。イサーン出身らしき人も、中央タイ語を喋っていること。

今の映画だと、字幕スーパーつきででも、イサーン(ラオ)語を話してしまうのに。

エンターテイメント映画が本格的に出だしたのが、50-60年代?かな?
そういえば、その頃、日本映画でもタイを舞台にしたものもいくつかある。見てみたいな。

マリコ
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by chachamylove2003 | 2006-08-13 22:09 | タイ映画

怪盗ブラックタイガー

やっと見ました。怪盗ブラックタイガー(ファーイタライジョーン)。
(製作年、調べる、、、、、、)

バンコクで、古い映画のVCDを探しても、これだけはいつも探し出せなかった。
なのに日本では、TSUTAYAにある。

正統派(?)タイの西部劇。舞台はスパンブリー。
スパンは90年代ぐらいまで、(たぶん今にいたるまで)、バンコクから見れば
西部劇的フロンティアだった。
撃ち合い、強盗、地元の権力争い、ほとんど無法地帯、腕力ある者が権力を持つ、

またスパンは同時に、民謡など、謡う文化が盛んな地域。
現在のルーク・トゥンの発祥の地は、スパンあたりじゃあ、なかったっけ?
今も生きているルーク・トゥンの大御所は、スパン出身。

タイの中部地方であるのに、その中で、「田舎」「野蛮」のコトバがとても似合う地域。

ブラックタイガー(スア・ダム)もまた、強盗団の一員だった。
貧しい村の区長の息子、その恋の相手はバンコクからやってきた知事の一人娘。
子供の頃、いつも彼女を守り、そのために自分の立場を悪くしてきた。
そのうちに、知事の娘ラムプイも彼に恋心を懐くようになる。

二人は大きくなり離ればなれになったが、ダムに不幸が訪れる。
地元の権力争いに巻き込まれたダムの父が殺され、憎しみに駆られたダムは、地元の盗賊に助けられて、父の敵をうち、自らも盗賊となった。

そんなとき、また二人は出会う。
彼女には、エリート警察官との結婚話が持ち上がり、無理矢理結婚させられようとしていた。
そのエリート警察官は、盗賊との銃撃戦の末、命を落とそうとしていたが、ダムは彼女の婚約者であることを知ると、彼を逃がしてしまう。
そのため、ダムは盗賊団に殺されそうになるが、彼女が昔くれたハーモニカによって、命拾いする(胸ポケットに入っていたハーモニカに、銃弾があたるのよね、、、、same old pattern)

ラムプイの結婚式の日、盗賊団がおそってくる。
しかしダムは、彼女を救う。
結局はエリート警察官の銃弾によって、彼は彼女の腕の中で死ぬ。

あな、可哀想、、、、。

全編、歌(どういうジャンルと表現すればいいのだろうか、昔の歌謡曲っぽい、ルークトゥンの原型のような甘い恋歌)が流れる。
挿入される多くの歌が、この映画を安っぽいB級西部劇にさせていない。

血が吹き出る音が、わざとらしい派手な音だったり、
ストーリーがよくあるもので、美男美女+悪玉しか出てこなくって
パロディっぽく笑えるけど、
娯楽映画として、おもしろかった。

DVD貸してくれた人に、感謝。マリコ
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by chachamylove2003 | 2006-08-02 22:38 | タイ映画

タイの映画shutter

最近のホラーものなのだ。心霊写真、鏡、ベッドの向こうから這ってくる幽霊、ミイラ、愛する人に裏切られ、レイプされ、失意のうちに自殺した女の霊などなど、これまでの有名な海外のホラーもののモチーフがてんこ盛り。パロディとしてみれば、笑える。

でも考えてみれば、ホラーって古いモチーフをどう新しく編集しなおし、怖がらすことができるかというところが重要なんだから、こんなものなのかなとも思う。

ホラー映画、というより幽霊(ピー)が出てくる映画は、その地域の土着の信仰をみごとに反映するという点で、私は好きだ。その国の人間をまず楽しませようとして作るのだから。その点で言えば、この映画は海外を意識して作っているみたいでおもしろくない。

パロディ満載で、怖くておもしろい方向に進むか、またはこれもよくあるが、か弱い女性を使って幽霊を退治してしまうというフェミニズム的方向に進むか、という二つの方向性を考えてもおもしろい。

最後、結局幽霊に取り憑かれた男性の彼女は、過去の彼のひどい行いを知って、出て行ってしまう。過去は許し、一緒に幽霊と戦いましょうね、とはならなかったところがいい。

映画の中で出てきたが、中国寺の救急隊の、あの事故処理の写真の数々は、私もいつも食い入るようにみてしまう。地方のバスターミナルにも、「事故を起こすとこうなりますよ。だからスピードには注意しましょうね」という意味で、事故直後の写真をよく飾っている。

蛙のようにつぶれた死体、手があっちで、足がこっちというバラバラ死体、死後時間が経ってふくれあがった死体、これでもかというように、死を身近に感じるよう、並べられた写真は、ほんとうに迫力がある。実際、事故が多く事故死が多いタイの地方で、何度も死体に出くわしたこともある。

「カム(業)」や「ウィンヤーン(魂)」などと名付けられた雑誌もよく売れている。たまにバスの中などで読んでいると、まわりの人が首を伸ばして一緒に読もうとする。読み終わって、膝の上に乗せて、うたた寝をしていると、いつのまにか私の雑誌は回し読みされて、バスの座席の遙か彼方へと運ばれていってしまう。それほどまでに読みたいものなのか。

それにしても映画の作りは、うまかった。やっぱり見ていて怖かったもの。次は、もっとパロディったホラーものがみたいなあ。

ついでに言うなら、暑いタイなのに、どうして映画の中の俳優さんたちは汗もかかずに涼しい顔をしていられるのだろう。ぞっとした。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-11-20 00:55 | タイ映画

タイの映画Kha Nam Nom母乳代

監督チャウ・ミークンスット、主演スラポン・チャートゥリー、1981年作品

カー・ナム・ノム(母乳代)、タイではよく使われる言葉。母が子供を育てたお返しとして、支払われる婚資のことを呼ぶが、広く母の恩のことを意味する。

男なら結婚前に出家し、母に恩を返すこと、女なら結婚しても親の面倒を見ることがそれにあたる。母が息子の出家に対する多大な期待は、尼僧の伝統が消滅してしまった上座仏教世界において、女性が出家できないために息子を出家させることで、積める功徳を補おうとするからだと言われる。

功徳のためなのか、それ以外の理由もあるのか、一概には言えないが、タイでは得度式を行う前に、必ず民間バラモン式の儀礼を行い、そこで母の恩がどれだけ偉大かという話をとうとうと聞かされる。その後、やっと僧侶による得度式が行われるのだ。

息子を出家させるために、母は金を用意し、式を盛大にし、多くの人々を巻き込んで祝ってもらう。社会的にも一人前だと認められる通過儀礼でもあるのだ。

映画では、父を強盗に殺されて、残された母と息子二人が登場する。この頃のタイ映画にありがちだが、善玉は善玉、悪玉は悪玉とはっきりしていて、善玉である主人公は苦労するのだ。

兄は父の仇を撃ち殺してしまい、自ら強盗となってしまう。しかし悪者だけから金を奪い、貧しい人にその金を分け与える義賊。人々からは慕われるが、母や弟には理解できず、勘当状態。それで強盗をやめて、働くようになるのだが、弟は理解してくれても、自首しろという母からは怒りの言葉ばかり。

主人公である兄は、善人であるのに、悪者に他の罪まで擦り付けられ、果ては自分の恋人まで殺されてしまう。そして弟の方は恋人を妊娠させてしまうが、彼女は悪者一家の娘。母のために出家してから迎えに来るという弟が去った後、無理やり子供を堕胎させられそうになる彼女を、兄が助けに来る。これまでの数々の悪行に頭に来た兄と悪者たちは、撃ち合いになってしまう。仲間を殺されて一人になるが、彼は弟の出家に立ち会いたくて、寺へ向かう。

途中、指名手配されているためつかまりそうになるが、これまで彼が助けた人々が守ってくれ、真実が、悪者の悪行が明らかになる。自首を勧められるが、彼は母と弟に会いに行く。

弟は出家し、黄色い袈裟に身を包み、母はうれしくてたまらない。でもやってきた兄を追い返そうとする。母の許しを得ることができない彼は、母の手によって殺されようとし、女性に暴行し母に銃を撃たせるよう仕向ける。そして母は自分の子供を撃ち殺してしまう。

最後はどうなることかと、楽しみにしていたが、結局死で終わるのか。やっぱりパターンがあるよな、と思った。荒くれ男たちに囲まれる中、母は強かった。娘や息子を守るために、戦っていた。展開が極端なのだが、たぶんこの頃の映画っていつも説明的なのだから、こんなもんだろう。

それにしても若い頃のスラポンは、やっぱりかっこいいなあ。年いった今もいいが。
マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-11-10 03:07 | タイ映画

タイの映画2・Tropical Malady

Tropical Malady (Sat pralat 不思議な動物?怪獣?) アピチャーティポン・ヴィーラセータクン監督

話題の若手タイ人監督の作品。

第一部、兵士が同僚の遺体とともに記念撮影するところから話が始まる。
いや、ストーリーなんてあるのだろうか。
ただただ「日常」が描かれているのだ。
ある地方の田舎を背景に、淡々と、坦々とカメラは回り続ける。
マイクだってないに等しい。
バックの騒音がそのまま流れ、登場する俳優の声さえよく聞こえない。
インターネットゲームも、登場人物がゲイであることも、石が金銀に変わった不思議な話をしてくれるおばさんも、犬が癌であることも、すべてがすべて非常に「日常的」なのだ。

正直、一回目は途中で寝てしまった。
2回目、その「日常性」に圧倒されてしまった。

私のタイでの経験もすべてこのような非日常的な「日常」の中に埋没していた。

第二部は、トラの魂が森に入ってきた人をだますという話。
兵士が森の中を彷徨い歩く。
第一部の最初にも出てきた全裸の男。彼は誰?
サルが告げる「あいつは、トラの霊。お前が殺さなければ、お前が殺される」
最後はトラと対面。
トラの霊が兵士に・・・?

わからん。
一部とは対照的に、非日常的な森の中。
動物の魂が漂う世界。
兵士=猟人、あなたは誰?

あーーーん、わっからーーーん映画だった。
マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-10-10 00:05 | タイ映画

タイ映画: Ai Fak(Judgement 裁き)

タイ映画のVCDをたくさん買ってきてしまった。古い映画なら20バーツの安さで売っていたのだから、ついつい、、、、。
ついでだから感想文などを書いていこうと思います。

Ai Fak(Judgement 裁き);Phantham Thongsang監督

タイでは有名な社会派の作家であるチャートのKham phiphaksa(裁き)を元に作った映画。

主人公はAi Fak(ビミョーな名前)。貧しくとも敬虔な仏教徒である青年。田舎の小学校の用務員として働く父と二人暮らし。10代のとき、見習僧として出家したが、年老いた父の仕事を手伝うため、還俗する。その後、徴兵され、兵役を終えて帰ってきたところから問題が始まる。
帰ってくると、父は若い娘と同居していた。彼女は所謂「きちがい」。自分が誰でどこから来たのかもわからない。若い娘との同居に戸惑いながらも、彼は父と一緒に用務員として働くようになるが、すぐに父は他界。村中は、父の嫁さんを自分のものにした「不道徳な奴」として、Ai Fakを忌み嫌うようになる。

生来善人であるAi Fakは、気が狂い、一人では生活できない彼女のことが心配で、同居を続けているだけなのだが、村人たちに何度説明しても理解してもらえない。その上、彼女の行動は村人たちにとって不謹慎この上ない。怒り狂った村人たちは、Ai Fakの父の葬式に誰一人参加しなかった。

Ai Fakは、悩む。「どうして?僕と父がいったい何をしたっていうの?」

そして酒浸りになってしまった彼を、ますます村人たちは村八分にするようになった。お坊さんでさえ、彼を無視し、尊敬していた校長先生には、預けていたお金を猫ばばされ、人々に袋だたきにされる。
ぼろぼろになったAi Fakに、昔の青年の面影はもうなかった。

小説の中では、最後に貧しさと偏見の中でAi Fakは死んでいったと記憶するが、映画の中では、気が狂った彼女が彼を支え歩いていくシーンで終わる。

小説を読んだときは、結局貧しき者に救いはないのか!!!と、タイのエリートが書く社会派小説に怒ったのだが、この映画の唯一の救いは、気が狂った彼女の美しさ、セクシーさと、彼女とAi Fakの愛の物語に仕上げたところだろう。

気が狂いながらも、彼女はAi Fakのことを理解しようと努力し、懸命について行こうとする。Ai Fakも、彼女のその純粋な気持ちに打たれて、精神病院に送る気になれない。二人とも社会から阻害され、周縁に押しやられた存在。映像の美しさに誤魔化されてしまい、映画としていい映画だと思うのだが、やっぱり悲しくなってしまう。

人間や社会の闇を描く、このような社会派作家は70年代後半から続々と出てきたのだが、パターンは同じ。農村、貧困、学歴なし、権力なし、努力しても無駄、宗教でさえ救済できない。そんな登場人物がその頃の小説に数多く描かれていた。

もちろん今のタイにおける映画や小説の役割は、かつてとかなり異なる。この映画のように、小説とは異なる視点から描くことも可能だ。そして私は、そんな少しの希望が見える方に期待したいのだ。マリコ
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by chachamylove2003 | 2005-09-22 14:36 | タイ映画