カテゴリ:私的なこと( 37 )

つれづれに

この数年、右往左往の毎日だった。

いや、その前から行先もわからないまま前進していた。
いや、その表現もまた違う。
線路も道路もないジャングルを切り開き、線路のレールや枕木を作ることから始め、
右に線路を引いたら大きな岩が立ちふさがったので、元に戻り、
今度は左に引いたら、崖にぶつかったので、また元に戻り、
前に行けるところを選びながら、一つ一つ線路を引いてきた。

普通ならば、ある程度の長さのレールがすでに用意されていて、
その形状や向きに従って気に入ったものを選び、つなぎながら前に進むものを、
レールを製鉄するところから始めていたのが私。

製鉄のやり方を覚え、レールを作ることを覚え、
航空写真で目の前にあるジャングルの全体像を初めて見たら、
私はぐるりと回って元の位置に返ってきていた。

振り返る後ろはない。
前を見ると、これまで試行錯誤で作ってきたレールの残骸が散らばっている。
無我夢中だったとき一度通ったところなので、以前よりは視界が開けている。

初めてジャングルを目の前にし、線路を引いて列車を通そうと思った時より、年も取ったし、体力も落ちた。
ジャングルの向こうを見ることや、列車を通すことはできないかもしれない。
でも線路だけは引いておこう。
後で誰かが通るかもしれないから。

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by chachamylove2003 | 2013-08-28 15:52 | 私的なこと

本質・クラゲ

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東南アジア大陸部4か国を駆け抜けて、帰国しました。
大学にいたときは、これほど自由に駆け回ることができませんでした。
頭の片隅には常に、調査しなきゃ、フィールドから離れてはいけないという
脅迫概念みたいなものがあり、自分で自分の行動を制限していたところがあります。

帰国後、近所の公園に行くと花見宴会の人々で満員。
桜も散り始め、緑の葉が目立つようになりました。
季節はめぐり、あっと言う間の一年でした。

昨年の春、桜を見に行ったのが、実母とともにした最後の時間でした。
昨年、洪水に覆われたバンコク周辺の田んぼでは、その後すぐに田植えがなされ、
今、黄金の稲穂が実っています。
今年は豊作です。

時は容赦なく過ぎ去り、今を過去へと変えていきます。
季節は着実に移り変わり、生まれる者、死ぬ者、病める者、すべてを巻き込み
様々な想いを、桜の花弁のように、風に乗せて遠くに運びます。

心理テストで、私の本質は「クラゲ」と言われてしまいました。
ふわふわ、ふらふら、自由に、柔軟に(なんせクラゲですから、柔らかいでしょう)
流れに逆らわず、いろいろな光を反射し、その色を身にまとい、
遠くまで流れていく。

その目的は?生まれて、生きて、天寿を全うすること。
高尚な思想や野心とは無縁で、日々生き、敵が来ても相手を攻撃せず、
台風が来れば傘を閉じ、死んだように動かないけれど
いつかはまた、傘を広げて、漂い始める。
本当の強さ。生きる強さ。

そんなクラゲでいいじゃないか。
クラゲは、日本を超えて世界を漂います。
そしてあちこちで引っかかりながら、
そこの光を映し出します。

春冷え。公園に座っていると寒くなってきました。
桜を見て、つれづれに。まりこ
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by chachamylove2003 | 2012-04-16 13:33 | 私的なこと

A Happy New Year 2012

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よいお年をお迎えください。マリコ
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by chachamylove2003 | 2012-01-01 00:40 | 私的なこと

秋の気配

また高野山に行き、亡き母にお参り。
いつまでも過去にとらわれていてはいけないと思うのだけど、
母が亡くなって、5か月。
早かったような、遅かったような時の歩み。
5か月前のことが、もう思い出せない。

いつも元気そうな、こうやくん。
お寺の雰囲気とは不釣り合いだけど
なぜかおかしくなってしまう。

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by chachamylove2003 | 2011-10-27 20:37 | 私的なこと

インタビュー

おそらく人生で初めてインタビューのようなものを受けた。
養子としての人生を聞かれた。

これまでタイの農村で、いろんな人生の聞き取りをしてきた。
どこで生まれて、どういう家族の中で育ち、どのような人生の軌跡をたどってきたのか。
時系列で答えてくれる人は少なく、頭のなかで再構成しながら
その人の人生を、人生の転換期を一つ一つ探るのがインタビュー。
人によっては、根掘り葉掘り、プライベートなことを聞かれるのを嫌がり、無視されることもあった。
そういうときは、冗談を言ったり、マッサージしたり、手相を見たり、一緒に田んぼに行ったりと、
時間をかけて関係を作ってから、いろいろな質問をするようにしていた。

人に聞くばかりで、あまり私のことを聞いてくれる人はいない。
表面的な質問ばかり。
逆に私が、もっと深く突っ込んでほしいと思うこともあったが、
そもそも私自身、これまでの人生の経過がややこしすぎて、人に説明できないでいた。
ややこしいだけでなく、人に言ってはならないことも多くあった。
だから、誰に理解されないとしても、それは仕方がないことと、
小学生の頃からあきらめていた。

そのせいか、人には「何を考えているのかわからない人」と思われていただろう。
中には私のことに興味を持つ人もいたが、
「僕には理解できないよ」という一言で、私も語るのをやめた。
その言葉は拒絶と考えた。

特別養子制度を促進する団体の関係者が
普通養子である私に、どのように自分が養子であると知ったのか、
親子関係はどうだったのか、などについて経験や感じたことを聞いてきた。

自分の人生を分析できない私は、聞かれるまま
いろいろなことに答えた。
話があちこちに飛び、いろいろなことを語るうちに
私のなかでも、様々な思い出や想いが湧き上がってきた。

再確認でしかないが、
私の混乱した人生の始まりは、やはり親との関係だったのだ。
それもたくさんの親との入り組んだ関係。
またそれをよりややこしくした学校の先生、学友、親戚たち。
他人のこそこそ話や皮肉。
中学時代の嫌な思いをたくさん思い出した。

養子と養親の関係作りが成功するかしないかは、何が要因なのか。
それをインタビューする相手は知りたかったようだ。
私にもわからない。私は成功しなかった例だから。
「よく不良にならなかったね」と言われた。
大人になってから、放浪癖がついたから、
不良化が遅かっただけなのかもしれない。

人にインタビューされることによって、
自分の人生が少し整理されたように思う。
「物語化」とでもいうのだろうか。

インタビューされるのに慣れていない私は、
少し居心地が悪かった。
結局、インタビューの最後は、
私が相手をインタビューしていた。
どうしてこのような仕事についたのか、家族は?など。
やっぱりこの方が落ち着く。

これまで私にインタビューされた、村のおばさんたちへ、
ありがとう、お世話になりました。
いろいろ聞いてごめんね。
私は、他人の物語を聞くことで
やっと自分自身を保っていたところがある。
自分の人生の物語化によって、
おばさんたちが自分を振り返る時間が持てたのではないかと
ちょっとだけ、言い訳している私。

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by chachamylove2003 | 2011-10-08 12:48 | 私的なこと

コンビーフの想い出

フィリピンから帰ってきました。
たった9日間の旅でしたが、初めて参加したスタディツアー。
基本的に集団生活が苦手でパッケージツアーにも参加したことがなかった私。
でも若い人と一緒にいて、楽しかったです。

でもいつもフィリピンに行くと思うのです。
食材も調味料も、タイとほとんど同じなのに
どうしてこういう味付けにするのか!!!?と。

肉肉肉、、、どうして野菜を付けないのか!
塩、砂糖、塩、砂糖、砂糖・・・砂糖多すぎ。
油いため、揚げ物、油油油・・・同じ素材を煮てくださいよ~。
そして極めつけが、どうして唐辛子を付けてくれないのか~~~。

でもね、
その中で一番好きな料理があるのです。
それはコンビーフを使った料理。

コンビーフ・・・塩漬けにした牛肉。牛肉は、要するにすじ肉などの安い肉。
保存用食料として、日本では戦中・戦後、アメリカ軍がもたらした。
フィリピンは、アメリカの影響が強いので、どこのスーパーにもコンビーフの缶詰が売られている。
日本では、輸入物がほとんどで、値段も高い!!!

まだ小学生の低学年の頃、
大正生まれの養母は、癌で入退院を繰り返した後、亡くなった。
そのため家には女の人がいないことが多かった。
だから洗濯機も自分で回していたし、
簡単な食事も自分で作って食べていた。
用事で外によく出る父は、私一人家に残していくとき
必ずコンビーフの缶詰を置いて行ってくれた。

私はキャベツとコンビーフを一緒に炒めて
嬉々として一人で食べていた。
コンビーフは、本当に私にとって特別食だった。
値段も高かったから、高級品というイメージ。
それを一缶、一人で食べることができるのだ。

今でも、スーパーでコンビーフ缶を見ると
ついつい手が伸びてしまう。
でも日本では値段が高い。
くず肉に、どうしてこんな値段がつくのだ!
それがフィリピンでは安く、コンビーフハッシュ(ジャガイモと一緒に炒めたもの)は
どこのメニューにも載っている。

ううう、これを食べずにいられるか・・・
塩分過多、脂肪過多、、、なのはわかっている。
でも私にとっては、一人ぼっちでさみしかった日々と
その日々のなかで、ちょっとだけ自立した自分を感じた時を
思い起こさせてくれる食べ物。

だからやっぱりコンビーフは大好き。
今日もコンビーフ缶を買ってしまった。
でもキャベツもジャガイモも買うのを忘れた。
ううう、明日スーパーに行って野菜を買ってこよう。

そしてまたキャベツとコンビーフ炒めをつくろう。

毎回、フィリピンから帰ってくると、しばらくコンビーフ料理が続く。
子どもの頃のしょっぱい想い出。
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by chachamylove2003 | 2011-09-21 23:27 | 私的なこと

高野山

毎年のように通う高野山。
関東の人にはなじみがないのかもしれないけれど
関西人にとっては、あの世に一番近いこの世。
元祖開発僧である弘法大師の元に
多くの人たちが納骨に来る。

昨年の養母に引き続き
今年もまた母の骨をおさめに来た。
しばらく納骨堂に納められ、時期が来たら
灰にして高野山の土に返る。

ここは、真言宗の寺だけど、
宗派を超えて、民間信仰が支える神聖な場所。
うちに来る真言宗のお坊さんは、高野山への納骨を認めていない。
でも今までも、誰かが死んだらここに納骨に来たし
これからもここに納骨に来る。

本来ならば墓などいらない。
私にとっては、ここが死者と出会える場所。
と、いいつつも、
毎年墓の掃除をし続ける。
今年からは、また一つ、掃除をしに行く墓が増えた。

納骨してしまうと、家がさみしくなった。
母の写真を毎日眺めて、おしゃべりしている。
向こうでは、たくさん友達が待っていただろうね。
楽しく酒を飲んでいるかな。
お母さん、さようなら。合掌。

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by chachamylove2003 | 2011-07-21 22:55 | 私的なこと

さようなら、お母さん

母が亡くなって一週間。
急な死だったので、まだ実感がもてない。
「体調悪そうなので病院に連れて行きます」と
グループホームの人から電話を受け取ったのは
先週の金曜日の朝。
日本時間9時ぐらいだった。
その時私は久しぶりにタイの母を訪れ、
村の寺の火葬場建設のための布施をしていた。

12時に電話した時は
「救急車で搬送とちゅうです」
1時ぐらいには、医者から電話があって
「今、危篤状態です。1時間ももたないので
来るなら早くしてください」

って、いっても今、タイなんですけど。

3時には「今、お亡くなりになりました」
との電話。
私はまだ町にまででていないかった。

あわててダフ屋(まだタイにはあるんだね)から航空券を買い
深夜便で帰国、通夜、葬式。
あっと言うまに時間が過ぎた。

それから毎日お骨になった母と飲んでます。
生きているときは、あまり一緒に飲めなかったからね。
悲しい、母らしい逝きかた。
寂しい。でも母はもっと寂しかったんだろう。

まだ言葉にできない、言葉にだせない、
私の複雑な気持ち。
大好きよと、母に言い損ねたな。
最後に母に会ったのは、母の日だった。
ちゃんと話せばよかった。

向こうで思う存分飲んで騒いでね。
もう楽になったのだから。

合掌、マリコ
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by chachamylove2003 | 2011-05-21 23:37 | 私的なこと

母の死(これが最後)

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実母に会えた感謝を込めて、この一年間
ちょこちょこと四国八十八ヶ所を訪れ
4月末に全部廻り終えた。
一周目は母のため、二周目からは自分のため。
そう思って四国の寺を廻った。

母と出会って一年。
2回目の母の日に会ったのが最後だった。
一緒にケーキを食べたが
なんとなく疲れてしんどそうだった。

そして5月13日
突然の死。
結局死に目にあえなかった。

初めて会った母の兄弟や親戚たちが集まり
私が喪主をし、葬式は和やかに終わった。
お棺には、私の四国八十八ヶ所の納経帳を入れた。
タイのお菓子も入れた。
一度食べて気に入ってくれていたから。

母との最後の会話が思い出せない。
死の2日前に電話したけど、
私の体調のことを心配してくれていた。
思えば、母は自分の死期がわかっていたのかもしれない。

あまりに短い付き合いだった。
遺骨を引き取り、今やっと初めて
母と同居することになった。
生きているうちにかなわなかった夢。

私のために逝くのを待ってくれた一年だったのかもしれない。
お母さん、ありがとう。さようなら。
合掌
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by chachamylove2003 | 2011-05-17 01:48 | 私的なこと

造幣局の桜2011

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昨年、母と一緒に来た時は、雨が降っていた。
寒くてしかたなかったことを覚えている。
今年も雨が少し降っていた。

数週間、母に会いに行かなかった。
日本にいなかったからなんだけど。
グループホームの入居者や職員さんの顔ぶれも
一部変わっていた。
本当に回転が速い。

来年も母と行きたい造幣局の桜の通り抜け。

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by chachamylove2003 | 2011-04-16 02:16 | 私的なこと