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功徳と寄付

2004年年末に起きた大津波の被害者のための寄付が世界規模で行われた。日本でもプロ野球選手を始め多くの人たちが「善意」を見せた。タイでも同じように、有名な俳優やスポーツ選手が寄付を表明した。その中で世界で活躍するタイ人・プロテニスプレーヤーが寄付を表明したとき、記事を読んだ読者たちが怒り心頭した事件が記憶に新しい。

何に怒ったのかというと、その額が少なすぎるから。確か日本円で10万円に満たないぐらいの額。世界のプロなんだから、もっと金を持っているくせに、ケチな奴というブーイング。それであわてて彼は寄付の額を上げたのだが、読者の視線は冷たかった。

日常生活におけるタイの仏教の一番の柱となる論理は、功徳bunと悪行bapのバランスだといわれる。善行によって功徳を貯蓄し、殺生や盗みなどの悪行によって貯めた功徳を消費する。人はみな功徳の預金通帳を持っていて、死んで閻魔の前に出れば、閻魔がその通帳を見て、功徳が少なければ地獄、その残高が多ければ天国へと、人を振り分ける。また天国に行ったら行ったで、その残高の多い人から、来世へ早く生まれ変わることができるし、金持ちや地位の高い幸せな人として再生できる。

このようなタイ仏教の論理を、マルクス主義者たちは、抑圧された社会的弱者(たとえば貧しい人や障害者)が現状に満足し、社会的反乱を起こさないためのブルジョアが作った論理だという。今、社会的状況がよくないのは、前世において悪行を重ねてきたからだという説明が、よく僧侶の説教でなされているからだ。

確かにそういう一面もあろうが、現実に老若男女、貧富の差に関係なく、功徳を積むために走り回るタイ人(文字通り、走り回っているのだ)を見ていると、誰にとっても功徳を積むことはたいへんであるようだ。

寄付することは、功徳を積むことに直結する。もてる者は出せ!という論理を、マルクス主義者はどのように説明するのだろうか。

かくいう私も「もてる」日本人。タイの村ではよくお布施をさせてもらいました。お寺の本堂建設資金、冠婚葬祭、治療費、車代などなど。一方、数年にわたる調査期間中の滞在では、一銭(一バーツ)も住居費や滞在費、食費などをホームステイ先家族は受け取らなかった。

金は、適切なときに、適切な額を出すこと。難しいけど、このことはよく勉強させてもらいました。

by chachamylove2003 | 2005-03-31 00:25 | タイ諸々