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フィールドと私(1)

母親に恵まれなかった私にとって、東北タイ農村に住むトンマー母さんは、本当に母のよう。いつまでたっても結婚しない私を心配して、「結婚しなくてもいいから、養子をもらうなりしないと、年いったとき困るでしょ」としつこい。つきあいも10年を越えると、トンマーの体力的な衰えを目にして不安になる。

調査のためにフィールドに滞在し、その調査対象である人々の生活や人間関係の中に、まず埋没するのは、学生として当たり前のことだが、その現場からどのように距離を離していくかによって、たぶん「研究者」と「研究者になりきれない者」とが分かれていくのだと思う。

一度調査を終えたフィールドには、二度と行かないという人もいる。個人的事情もあるから、それはそれでいいのだろうけど、少なくとも、私はどっぶり埋没型であり、調査結果を書けない学生。どうして書けないのか。私が相手にしたものは、人間であり、その個人の顔がついつい目に浮かんで書けない。一つの語りや質問票では単に「1」として数えられるものの中身が、現実にはあまりに多様であることを知っていて、その多様な人々の生き方を一言でまとめてしまっていいものかと、いつも悩み苦しむ。

もし書類や文献を相手にしていたとしたら、こんな悩み方はしないのだと思う。文献の向こうに見える人々を想像することと、実際生きている人間の行動や語りから、その人々を描写することとは全く異なる営みだ。そして肝心なことは、彼らはそんな書いた物が欲しいわけではないということ。それよりも、ここにいるマリコという日本人ともっと顔をつきあわせていたいと言う。私が住むための部屋を用意してやるから、早く移住しに来いと再訪するたびに言われる。

村にいたとき、一人の女性と道ばたで出会った。
「マリコ、今朝はお寺に来なかったね(毎朝、僧侶に食事を持って行く役は私だった)。どうしたの?代わりにトンマー母さんが来てたから、『あんたんとこの、日本人の娘は今日、来ないのかい?』って聞いたのよ」

金持ち国日本から来た私が、いつもトンマーのところに泊まるので、他の村人からすると、いろいろな意味でうらやましいことから、皮肉混じりに、彼女に私のことを聞く人は多い。「マリコは家賃としていくら払うのか」「マリコが家を建ててくれるのか」と言うように。そんなとき、トンマーはいつも、冗談を交えながら、軽く受け流す。

トンマーはお寺で他の村人たちの前で、私について
『マリコは前世で私の娘だった。だから現世で出会えたんだ。だから来世ではまた私の娘として生まれてくるんだよ』と言ったと、女性は告げてくれた。

「あんた愛されてるね」

そうなんです。トンマーは私にそんなことを言うわけではないけれど、いつもかけてもらっている愛情は感じています。こんな満ち足りた家族生活というのは、私にとって経験のないことだった。

トンマーの言葉のように、来世では彼女の娘としてちゃんと生まれたいと思っている。そんな私は、完全に「研究者になりきれない者」に分類される。でもフィールドワーカーとして、この言葉は勲章として私の心の中に大切にしまっている。マリコ

by chachamylove2003 | 2005-05-08 17:44 | 東北タイ