人気ブログランキング | 話題のタグを見る

麻薬中毒の僧侶

タイは、覚せい剤や麻薬の産地でもあり、消費地でもあるためか、日本に比べて驚くほど、ドラックが巷にあふれている。もちろん非合法である。

現タクシン政権は、麻薬撲滅キャンペーンを行い、売買に関わる者たちを殺してもいいという指示を出したため、これまた警察との銃撃戦による凄まじい数の死者が出ている。警察の方もやりすぎではないかという批判は、当然出ているが、実感として、確かに覚せい剤でふらふらしている若者を昼間見かけることは、少なくなった。

私が滞在していた、東北タイの村でも、覚せい剤でぼろぼろになった若者たちがいた。出稼ぎ先で、薬を覚え、仕事にならずに廃人のようになって帰ってきた人。中学校で覚せい剤を覚え、そのまま廃人になってしまった人。

そうとは知らない私は、最初インタビューをしようと話しかけても、全く会話にならないので、私の言葉が聞き取りにくいのかと思っていたが、覚せい剤中毒のため自宅療養していたことを後で知った。

そんなわけのわからないインタビューの繰り返しだったのだが、村の僧侶もまた、覚せい剤をやっていたので、困った。

ある若い僧侶は、他に僧がいないのをいいことに、村の悪がきどもを集めては覚せい剤パーティを開いていた。村人たちは、それを知りつつ、陰口を言うのだが、直接本人を問い詰めることはしない。しかし村人たちに知られているということは、わかっていたようで、次に村の若者がこの寺で出家すると聞くと、あわてて還俗して出て行ってしまった。しかし次に出家した若者もまた、他の麻薬中毒になったことがあり、今も精神科の治療を受けていた。

なんだかわけのわからない寺だと思っていると、やはり村の若者で、覚せい剤中毒となり、仕事ができなくなった一人が、出家を希望し、見習い僧となった。ますますわけがわからないが、この青年は、中毒によって脳の損傷があるようで、どうしても長い経を覚えることができないため、短期間で寺を去った。

それに対して、麻薬中毒だった若者は、経を朗唱する声がいいと言われ、村人に人気があった。たまにけたたましく笑って、いろんなものを壊すことがあっても、儀礼で経をちゃんと詠めさえすれば、村人も許していたことが不思議だった。

私とのインタビューは、、、、、全くものにならなかった、、、、が。

男なら誰でも出家して、寺に滞在し、食事は俗人たちが運んできてくれる。僧侶は、経さえ詠むことができれば、生きていくことができる。俗人は、僧侶にたいした期待をしているわけではない。単に儀礼を執行するため、功徳を転送する装置として、僧侶という存在が必要であるだけ。だから仏教は、俗人が必要とするものを僧侶が提供しなければならないという点でも、僧侶がリードしているとは言えない。覚せい剤中毒患者の僧侶だっている。僧侶だって、人間なんだ。

でもこの、僧侶という人間、結構生意気なんだ。気の弱い私などは、よく説教を聴かされて、インタビューすることなく、すごすご帰ってきてしまう。こんな人、私だけでないみたい。

by chachamylove2003 | 2005-04-27 00:57 | 東北タイ